現代社会!

2008年08月08日

平和の祭典をソマリアで観る

始まったね。Beijing 2008 オリンピック。
今日は金曜日なんで、ムスリム国のソマリアは休日。
小さなテレビにウガンダ人、スーダン人、ケニア人、ソマリア人、
シュエラレオネ人、ノルウェイ人、タジキスタン人の同僚と
4時間みっちりかじりついて開会式観ました。

すごい。さすが中国4千年ー!

花火の量が半端じゃないね
マスゲームの精巧さとか
アテンドする中国女性の規格内に揃った美貌とか
純粋に北京市長の開会の挨拶が中国語だけのところとか
(国際大会なのに、英語の通訳が全くないんだけど、
そんなもんだっけ?)
なんか、「わー中国だー」な場面が目白押し。
スペクタクルな開会式でした。
中国が国の威信をかけてやると
こうなるわけね!

素直に聖火点火は粋な演出だと
思ったな。(パンダが点火しないでよかった・・・)
204カ国・地域からの参加で
ここのテレビだと編集なしでだらーとずーっと映してくわけだけど
日本のテレビだったら絶対編集でカットされちゃうだろう
小国がちゃんとでてくる。

ソマリア出てきたときはテレビの前で大歓声!
はにかんだ笑顔のかわいいソマリア人の選手たち、
世界の大舞台でがんばれ!

3人しかいないスーダン。
スリランカとか
ジンバブエとか
イランとか
サモアとか
ミャンマーとか

自分がいったことがあったり、知り合いのいる小さな国から
何百人も参加する大国の間を縫って、歩いてくる。
感情移入しちゃう見慣れた(別に知り合いではないけど)顔。
大きな舞台で世界中のアスリートが集まって
真剣勝負をする、ってすごくドラマティックだなぁ。

204カ国の地域、国の人が一同に集まるって
やっぱりすごいことだと思う。
環境問題だったり、チベットのことだったり
内外の温度差はやっぱりあるし、
オリンピックにまつわる決してきれいなだけじゃない話も
たくさん聞くけれど、
汚い面、問題に目を向けて、”そのもの”を唾棄する必要はない。
そこを忘れちゃいけないけれど、
基本的に、美しい面をみてないと
実際問題も解決しないもんだしね。

オリンピックのもともとの
「参加することに意義がある」ということと
たくさんの人が、人間の素の力をかけて
「世界一」を目指すこと
そしてそれを可能にするたくさんの裏方の汗と涙。

もうさ、こういう大きな金が動くところは
汚いことって絶対いっぱいあるんだよ。
でもさ、純粋に自分の4年間をかけて戦ってきた選手と
オリンピックの成功に向けてがんばってきた人たちを考えると
私はなんだか胸が熱くなってしまう。

私もボランティアだったけど
長野オリンピック手伝ったから
あの言葉にならない熱気とモノを作り出す楽しさと
たくさんの人が集まる独特の空気の面白さを知っている。

ソマリアなんて遠くの国にいて、
今日だって銃声聞こえてしまうわけだけれど
大会を運営する人がいて、報道関係者がいて
選手がいて、選手を支える人がいて
応援する人がいて、そして私はいろんな国からの同僚と
わいわいいいながら、その祭典を観てる。

世界の大部分で
熱い心根をもった一己の個人がしっかり今を生きている。

熱いドラマをたくさん見せてもらいましょう!
あーこれから一ヶ月、楽しみだわ☆
にっぽん、がんばれ!!




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2008年07月09日

腐ってもソマリア

失敗国家一位の不名誉な称号をもらっている
愛すべきソマリアですが、
さすがやることのスケールが並の国家とは違うのだわ。

表向き平和国家で穏やかに育った日本人の私からしてみると
非常にわかりにくい氏族システム、国家の現状、メンタリティー。
毎日勉強するのが楽しいです。まさに激動の現代史。しかも現在進行形。

今日、びっくりしたのはこれ。
Wikipidiaによると2007年、たった昨年
一ドル当たり1387.77ソマリアシリングだった為替レートが、
2008年現在一ドル=3万3千ソマリアシリング。
百ドル札一枚両替しようものなら、世界恐慌時代もびっくりの
トランクに詰まったお金がもらえる状態になってます。
コインなんか当然なくて1000シリング札オンリー(0.03ドル分)

でそんなハイパーインフレの理由がなんと

「商人が勝手にお札を刷ったんだよ。コピー機でお札をたくさん作ったんだ」
”偽”札が大量に市場に出回ったのが理由でお金の価値が暴落。

「お札のクオリティーはそっちの(偽)札のほうがよかったから
みんな使ってたんだ」

・・・国家として成り立っていないのがよくわかる逸話であります。

日本ではまだ注目されていない
(これから注目されるかは大いに疑問ですが…)
ソマリアの新鮮な情報+興奮渦巻く現代史、
ちゃんと自分で消化してわかりやすく面白いかたちで
みなさんと共有したいと思います。
ってか、足を踏み入れたばかりでかじりかけで
生半端な知識を披露してボロを出すのも恥ずかしいので。
ぺね朝に聞かれた「ソマリアとエチオピアの関係」も含めて
7月の後半に“目からうろこのソマリア講座”を開催します。拍手
乞ご期待!


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2007年12月02日

幸せのねずみ講

FACEBOOKがなかなか楽しい。

イギリス発祥のSNSだが
いろんなプログラムがあって、
ブログやミクシーより簡単に
自分の「人となり」や「興味」を表現するツールが揃ってる。
メッセージにしたって、ギフトにしたって
あくまでバーチャルではあるのだけれど、
こう人とつながりやすい世の中になったのは確かだ。
わざわざ電話するほどのことでもないが
Now I am just thinking of you!ってことを
さらっと伝えるのにちょうどいい。
そして世界中の人が参加しているので、
私の旅先で会った人とか仕事の仲間とか
大学院時代の同級生とか事業の友達とか
ポンと再会できて、そして「つながれる」のが嬉しい。

私たちの交換日記→ポケベル世代は
こういうおもちゃがあんまりまだ普及していなかったから
学校なり時間を過ごしたプログラムが終わると
コミュニケーションが一部の近しい人を除いて
結構断絶しがちだったけれど
ここ最近のおもちゃの進化で、
停滞しがちなコミュニケーションが俄然元気になってきた。
空白があるから、アップデイトも楽しい。

これが、現実社会と同時進行に利用するツールだと
縛りや制約がでてきていろいろめんどうくさいかもしれないけれど。
だからMixiは会社の人には知らせてないとか
仮名で登録してあくまで自分の気の置けない人限定で
楽しむ人が結構多いのもうなずける。

FACEBOOKはただ、アプリケーションがいろいろ多いせいで
無制限にいろいろダウンロードしていくと
非常に醜い。見にくい。
何度か挑戦してそのたびに即削除しているのが
Fun wall.
絵とかビデオつきで友達にメッセージを送れるのだけれど、
ジャンクメールを送る人が多すぎるのだ。
私、自己中なのかなぁ。
なんかいいメールもらっても、私がCCになってると
「私はおまけかよ」と思っちゃうし
私以外にCCされていると
「なんだ、私以外にも言ってるんだ」と
思う人間なので(←あくまで個人メールの話ですよ)
どうでもいいメールをたくさんばら撒く中に
私が入っていても全く嬉しくない。

昔メールでもあったけど(今もか)
このメールアドレスから連絡が来たらそれは全てのプログラムを
破壊するスパムだからあけてくれるな、そしてそれは緊急度が高いから
全ての人に送れ、とか
こんな困っている人がいて、このメッセージをForwardすることで
どことかの団体が寄付することになってるから協力せよとか
これはフレンドシップローズなので、他の人に送りましょう。
私にも送り返してください(なんのために?)とか
こう「今日の名言」的なまぁそれなりに面白い内容の場合も
あるのだけれど、基本的にうさんくさいにおいがする。
どっかから送られてきたものを左から右に回すだけの規格マスメールで
自分のテリトリーがいっぱいになってしまうのはいやなの。
送るなら、自分流に味付けした「One and Only」送ってね、なのだ。
だってそうじゃないと面白くないじゃない?
私は自分の好きなものだけでお部屋を飾りたい。

うわ、私こんなハナモチナラナイキャラだったっけ?←イメージ深田恭子
深きょんのようなBabeには許されそうだが、私じゃ生卵とんできそう。
投げるなら、ゆでたまごにしといて。

それはよいとして、(よくないけど)
今日ちょっとネット徘徊していて
へーということを見つけたのでここで紹介します。

世界には現在、約65億人の人間がいます。
1人が最初の一日で、3人に広げるとして、
二日目に、9人。三日目に、27人・・・と、
3の倍数で広がったとしたら、世界のすべてのひとに行き渡るために、
どれくらいの年月が必要だと思いますか? 
答えは・・・ たったの21日なのです! ・・・<精神世界の鉄人より>

21日って短い!
そして一日3人という普通に出会える人数の人間に
何か「これだ」ということを伝えられたら
もしくは温かい気持ちにさせてあげられたら
そしてその人が次に同じように行動していったら
こんなに短い時間で、広がるんだ。

一日3人、ちょっと幸せにしよう運動というのは
いいかもしれない。
「どうしてる?元気にしている」というメールを書いてみる。
冷たいソーダを買ってあげる。
誕生日のカードを送る。
電車で席を譲ってあげる。
困っている人がいたら「どうしました?」って聞いてあげる。
そういう、小さいこと。

社会変革だとか意識の覚醒とかそういうレベルでいきなり語るのではなくて、
自分がつながっている友達を大切にすること
そしてそれが仲良しグループ内で完結してしまうのではなくて
別の友達に、そして社会に、それがひいては世界につながることだと思うから。

誰かにいいことしてもらうと、その人にってだけじゃなくて
他の人にもこのいい気持ちをわけてあげたい!と思うのは
自然なことだと思うし。

そういう気持ちを表現するいろんなおもちゃやツールが
この世の中には揃っている。上手に使わなくては。





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2007年05月07日

ホテルカポエタ

昨日、町で事件があった。
トポザ族がディンガ族をナタで切りつけて殺したことが発端で、
ディンガが仕返しにくるぞとトポザ族が逃げ出し、
町は不吉なくらいガラーンとしていた。軍やら警察やらが総動員されて
緊張が収まった模様。ジュバからセキュリティーのオフィサーが
飛んできたくらいだから、結構大きい懸念ではあったのよ。

この”部族間抗争”ってのは
すごく日本人には理解しにくい概念だとは思う。
それは大阪VS東京の確執とか
沖縄VS本土の壁という、地域単位のものではない。
ここにいる人たちは自分がケニア人かスーダン人より以前に
「自分は○○族だ」という自負がある。
だからといって他の部族をバカにしたりとか
うまく共存できないというのではなくて
普段は適当に混じりながら、部族間での結婚もよくあるし
一緒に仕事もするし、たまに
牛をとったのとられたので殺傷事故が起こったりはするけれど
基本、普段から”憎しみ”が表面化しているわけではないのです。
南スーダンは「アラブ人」に対する反感はびっくりするほど強いけれど、
部族間でどう、っていうのはあまりきかない。

私もうちのスタッフがどこの部族かって
何回も聞くけど、結局いっぱいありすぎてちゃんと覚えられない位。
ハローとありがとうだけは”その国の言葉で言おう”というのが
モットーだったけれど20の部族と100と言われる部族語をしゃべる
(スーダン語なるものはありません。公用語はアラビア語です)
スーダンで、ぱっとみて部族区別するのは不可能。
うちのスタッフには8ヶ国語(というか部族語)しゃべれる子もいたりして
表面上は問題ない”民族の共存”ですが
なんか一旦起こると、この「集団心理」というのは怖いなと思う。

昨日まで全く普通に一緒にいたのに、
何かがあったら、原因をピンポイントで攻撃するのでなく
「○○族」とか「△△人」という総称にして攻撃してしまう乱暴さ。
テログループだけしょぴけばいいのに、まとめて爆弾落としてしまう
某国のやり方のように。

また改めて都知事になった彼の「三国人」発言なんかもそうだし
2chに出てくるみたいな脈略とは全然関係ない中国人や韓国人に対する
薄気味悪い煽りもそうだけれど、
なんていうかな、平和ってのは本当に簡単じゃないことだなぁと
思わされます。

嫉妬だったり、憎しみだったり、
劣等感だったり、退屈だったり、あきらめだったり
そういう人間誰しもが持つネガティブな感情が
集団の波の中で、一方方向になだれていくと
人間なんて本当に簡単にコントロールを失ってしまうものなのだ。
アフリカだからじゃなくて
発展途上国だからでもなくて
日本だってそう。アメリカだってそう。
世界は今は危うい均衡の上に立ってはいるけれど、
戦争がないから平和が実現できたわけではない。

だから正しい規則だったり
罰則だったりで締めるとこ締めて社会は機能するのだけれど、
一旦、一人一人がもつネガティブな感情がうねりになって
向かってきたら規則なんて、
津波に飲み込まれる小石を積み重ねた防波堤みたいなもんではある。

「平和構築」なるサブジェクトに関わりだして
いい加減何年も経つけれど、平和をどうやったら構築できるのか
私にはさっぱりわからない。
人間の心の闇の深さを覗けば覗くほど
現実の醜さと歪みを感じれば感じるほど
わからなくなる。

グッドガバナンスとか教育とかそういうのが大切なのはわかる。
でもさ、それを実行する人間が
めちゃくちゃなことしてるんだから、全然説得力ないよね。
平和構築関連の論文を書く訓練はたくさんしたところで
この世の闇の深さを切り裂いていかないことには
人間の心の動きを見抜いていかないことには
ホテルルワンダもシンドラーのリストも
決してただの歴史に終わらない。
そんな気がする。




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