2006年08月
2006年08月31日
現実と妄想
メルズーカからフェス経由でカサブランカに
帰ろうと思ってたんだよね。
また、同じ経路で帰るのももったいないかと思ったし。
そうしたら、フェス行きのバス満員だった。
メケネスっていう北部に行く手もあったけれど、
ボマルに戻ることにする。
だってせっかくチャーミングな同行者がいるのだもの。
結局Qとはこんなかたちで別れることになって、
あたしたちらしいっていえばそうなんだけど
なんだかな~もう。
あと一年はマドリッドにいるらしいので
今度は3年あけないで会えるからいいか、と思い直す。
モロッコの時間は不十分だった
スペインに来い
最後までQ節健在。
しおらしく会えなくて残念だわごめんねなんて
あやまっちゃうあたしは人間ができてるなぁ。(自画自賛)
で、メケネスじゃなくてボマルに戻る理由もうひとつ。
で、このバスのドライバーがすごく素敵な男性だったのだ。
こんな理知的でスイートな男性が
長距離バスのドライバーとは!
もう一年ワルザザードからメルズーガまで
朝6時起床で、6時半にバスに乗り、
夜の10時までバス走らせっぱなしなんだって。
休みをとるとお給料がもらえないという話。
バリバリの肉体労働系なのに
しゃれたカフェの隅っこで難しい本読んでそうな繊細さ。
ひっきりなしにたばこすってるんだけど
笑顔がね、とってもいいの。鏡越しににこっと。
ワイルドさとスイートさ兼備。
こういう人タイプだなー。
いい男って基準お金じゃない。
生き生きしててスマートな人。
まっすぐ生きている人。
なんだか私ねじゆるんでますか?あーはい。
ということで、ボマルに戻ったら
みんな「おーまた来たな~!」な感動の再会。
新しい場所で新しい出会いにワクワクするのもありだけど
一度行ったところでまた同じ顔を見るのも
また違った楽しみ。
いろんな人が
「おまえ、ハム(というのがかわいいベルベル人男の名前)
と砂漠行ったんだってな~」とひやかすんだけど
なんで情報回ってんの?果物やのおやじとかレストランのおやじとか
みんなにやにやしてるんですけど。
いやだね、全く時間のあるゴシップおやじは・・・
あたりまえのようにハムの家族と夕飯を食べてくる。
温かく迎えてくれて
英語をみんなしゃべるわけじゃないんだけれど
すごく居心地がいい。
一人法律を勉強してた弟がすごく熱心に
切れのいい質問を連発。
来年一緒にエジプトに行こう!とかそんな話になった。
夜は果物やの近くの宿のルーフトップの大きめの部屋をとる。
なんやかんやといろんな人がお茶ごちそうしてくれたり
話かけたりしてきて、一人になれないけれど
これぞ旅の醍醐味!ではある。
次の日はハンマームにいって
おばちゃんに砂漠の砂を落としてもらう。
体中が海水浴行ったみたいに砂だらけ。
10時にハムが向かえに来て
今日は地元の人をいっぱい乗せたタクシーで
1時間のドート渓谷に行く。
家族連れがたくさん来ている
なごやかな観光地。
岩の合間をハムと歩く。
レストランにいってもウエイターが一目して
さっと会計が私に来るあたり
「外国から来た女の子が現地の男の子を囲ってる」
っぽくてなんだかむずがゆい。
言い訳することでもないけれど。
そうみられるか。ま、おやじと食べてても私に請求書くるけど(爆
私も成長したもんだ。
岩の合間から畑に出て
3時間くらい歩いた。
モモがなってたり
プラムがなってたり
ざくろをもいで食べたり
デーツの実を木から落としたり
川でぶどうを洗って食べたり
はだしになって川をじゃぶじゃぶ歩いたり
太陽がまぶしくて
水が冷たくて
ハムがやさしくて
なんだか童心に返るような素敵な昼間だった。
「幸せってさー、毎日あーよい一日だった
っていって寝られることだよね」とハム。
砂漠で日没逃したときも
「今日逃したら明日の日没があるよ」といってた彼。
素敵だな、と思う。純粋に。
毎日日が昇って毎日沈んでいく。
今日無理だったらYou just can wait for tomorrow
旅行に来てるから時間に制約があるのだけれど
彼にとってはここは生活。
こういうふうに時間をぶつぎりに切らないで
アナログに全体的にとらえられる生き方って
無理がない。東京では難しいけれど。
こういうゆるやかな自然や人に魅せられて
留まる人がいる。
どこそこのモロッコ人は
旅行で来た日本人と結婚したとか何人も聞いたし、
実際、ハムの友達でもイギリスの女性で
モロッコにせっせと通い婚状態の人もいて
(彼女はもうモロッコ人のボーイフレンドに
べたぼれの状態で見ててこっちが赤面するほどであった)
人生、時にそういう清水寺の舞台から飛び込む!
みたいな気持ちになることがあるのかなぁと思う。
だけどさ、現実問題
旅に出て浮かれてたときに出会った人に恋して
燃え上がった炎を長くきちんと続けるには
膨大なエネルギーと覚悟がいる。
勢いと瞬発力だけで飛び込んじゃったら
あとがきつい。こういうの考えてたら恋なんか
できないけれど。
”大人の”分別は感情の発露を妨げる。
でも、いつまでも子供ではいられない。
さっき、いい男は基準お金じゃないね
なんてわかったような口を聞いたけれど
実際問題月収が1万満たない超魅力的な男性と
月収がよくてで平々凡々な男性だったら
自分どっちを選ぶだろう?
これ、19歳で旅を出始めてから自分にずーっと問うている。
単なる「究極の選択ゲーム」なんかじゃなくて
自分にとって何が一番大切かっていう
核になる問いかけ。
カトリーヌ・ドヌープだったか
ちょっと記憶があいまいなんだけど往年の大女優が
「私はお金には困らないから、男には美を求める」
みたいな発言があって
おーかっこえー
と思ったけれど、実際今の年収をキープできれば
将来私も別に一緒にいる男性に
「お金」の部分で依存することはないのだ。
子供の教育も家も車も自分でどうにかできる。
じゃあ、彼は自分の好きなこととか家事とか
やってもらって、自分がばりばり稼げばいいのか?
と問うと、今までの私も
今の私もこれからの私も
即答できない。
女が男を無条件に家庭内からサポートする時代は終焉したが
だからって男が女をサポートする時代にはなっていない。
別にそういう時代も期待しない。
個々の選択でそれはありだろうけれど、
自分の男が「主夫」っていうのは
なぜかワクワクしないのは
男には自分の世界で「勝負」をして欲しいから、かな。
そんなんで
もう否定のしようがないくらい負け犬路線真っ只中
ストライクホールインワンなあたくしは
いまさら「男に食わせてもらおうなんて思わない」のに、
なぜか、じゃあこういうシチュエーションで
居心地もいいし、恋できるかっていうとそれは別問題。
あーこれ別にあたしがハムに恋をしちゃったーって
わけじゃないのですよ。
ただ、シュミレーションというか
魅力的ででもお金がない男性との妄想をたらたらと
旅に出るとできるたくさんの時間の合間にしてみる。
ハムはにこにこして兄弟に
「みおには決まった人がいるから僕はチャンスがないのだ
えーん」なんてふざけたこといっているけれど
じゃ、もし私が決まった人がいなければ
私は彼の胸に飛び込めるのだろうか。
頭もいいし、ハンサムだし、
おだやかだし、素敵な人だよ?
世界に出てから
さまざまな魅力的なバックグラウンドをもつ人に会うようになった。
「意見を交換」したことで「わかりあえた」なんてとても言えない。
もちろん時間を一緒に過ごさなければわからないことは
いっぱいあるけれど、人を国を文化を「理解する」っていうことは
自分の中でたくさんの疑問や問いかけを吟味して消化していく
気が遠くなるプロセスがある。
ひとつはっきりしたのは
お金があっても魅力のない男は選ばないということだけ。
まだまだ自分研鑽、
石の中から仏像を掘り出していくように
自分を削る作業が必要だ。
帰ろうと思ってたんだよね。
また、同じ経路で帰るのももったいないかと思ったし。
そうしたら、フェス行きのバス満員だった。
メケネスっていう北部に行く手もあったけれど、
ボマルに戻ることにする。
だってせっかくチャーミングな同行者がいるのだもの。
結局Qとはこんなかたちで別れることになって、
あたしたちらしいっていえばそうなんだけど
なんだかな~もう。
あと一年はマドリッドにいるらしいので
今度は3年あけないで会えるからいいか、と思い直す。
モロッコの時間は不十分だった
スペインに来い
最後までQ節健在。
しおらしく会えなくて残念だわごめんねなんて
あやまっちゃうあたしは人間ができてるなぁ。(自画自賛)
で、メケネスじゃなくてボマルに戻る理由もうひとつ。
で、このバスのドライバーがすごく素敵な男性だったのだ。
こんな理知的でスイートな男性が
長距離バスのドライバーとは!
もう一年ワルザザードからメルズーガまで
朝6時起床で、6時半にバスに乗り、
夜の10時までバス走らせっぱなしなんだって。
休みをとるとお給料がもらえないという話。
バリバリの肉体労働系なのに
しゃれたカフェの隅っこで難しい本読んでそうな繊細さ。
ひっきりなしにたばこすってるんだけど
笑顔がね、とってもいいの。鏡越しににこっと。
ワイルドさとスイートさ兼備。
こういう人タイプだなー。
いい男って基準お金じゃない。
生き生きしててスマートな人。
まっすぐ生きている人。
なんだか私ねじゆるんでますか?あーはい。
ということで、ボマルに戻ったら
みんな「おーまた来たな~!」な感動の再会。
新しい場所で新しい出会いにワクワクするのもありだけど
一度行ったところでまた同じ顔を見るのも
また違った楽しみ。
いろんな人が
「おまえ、ハム(というのがかわいいベルベル人男の名前)
と砂漠行ったんだってな~」とひやかすんだけど
なんで情報回ってんの?果物やのおやじとかレストランのおやじとか
みんなにやにやしてるんですけど。
いやだね、全く時間のあるゴシップおやじは・・・
あたりまえのようにハムの家族と夕飯を食べてくる。
温かく迎えてくれて
英語をみんなしゃべるわけじゃないんだけれど
すごく居心地がいい。
一人法律を勉強してた弟がすごく熱心に
切れのいい質問を連発。
来年一緒にエジプトに行こう!とかそんな話になった。
夜は果物やの近くの宿のルーフトップの大きめの部屋をとる。
なんやかんやといろんな人がお茶ごちそうしてくれたり
話かけたりしてきて、一人になれないけれど
これぞ旅の醍醐味!ではある。
次の日はハンマームにいって
おばちゃんに砂漠の砂を落としてもらう。
体中が海水浴行ったみたいに砂だらけ。
10時にハムが向かえに来て
今日は地元の人をいっぱい乗せたタクシーで
1時間のドート渓谷に行く。
家族連れがたくさん来ている
なごやかな観光地。
岩の合間をハムと歩く。
レストランにいってもウエイターが一目して
さっと会計が私に来るあたり
「外国から来た女の子が現地の男の子を囲ってる」
っぽくてなんだかむずがゆい。
言い訳することでもないけれど。
そうみられるか。ま、おやじと食べてても私に請求書くるけど(爆
私も成長したもんだ。
岩の合間から畑に出て
3時間くらい歩いた。
モモがなってたり
プラムがなってたり
ざくろをもいで食べたり
デーツの実を木から落としたり
川でぶどうを洗って食べたり
はだしになって川をじゃぶじゃぶ歩いたり
太陽がまぶしくて
水が冷たくて
ハムがやさしくて
なんだか童心に返るような素敵な昼間だった。
「幸せってさー、毎日あーよい一日だった
っていって寝られることだよね」とハム。
砂漠で日没逃したときも
「今日逃したら明日の日没があるよ」といってた彼。
素敵だな、と思う。純粋に。
毎日日が昇って毎日沈んでいく。
今日無理だったらYou just can wait for tomorrow
旅行に来てるから時間に制約があるのだけれど
彼にとってはここは生活。
こういうふうに時間をぶつぎりに切らないで
アナログに全体的にとらえられる生き方って
無理がない。東京では難しいけれど。
こういうゆるやかな自然や人に魅せられて
留まる人がいる。
どこそこのモロッコ人は
旅行で来た日本人と結婚したとか何人も聞いたし、
実際、ハムの友達でもイギリスの女性で
モロッコにせっせと通い婚状態の人もいて
(彼女はもうモロッコ人のボーイフレンドに
べたぼれの状態で見ててこっちが赤面するほどであった)
人生、時にそういう清水寺の舞台から飛び込む!
みたいな気持ちになることがあるのかなぁと思う。
だけどさ、現実問題
旅に出て浮かれてたときに出会った人に恋して
燃え上がった炎を長くきちんと続けるには
膨大なエネルギーと覚悟がいる。
勢いと瞬発力だけで飛び込んじゃったら
あとがきつい。こういうの考えてたら恋なんか
できないけれど。
”大人の”分別は感情の発露を妨げる。
でも、いつまでも子供ではいられない。
さっき、いい男は基準お金じゃないね
なんてわかったような口を聞いたけれど
実際問題月収が1万満たない超魅力的な男性と
月収がよくてで平々凡々な男性だったら
自分どっちを選ぶだろう?
これ、19歳で旅を出始めてから自分にずーっと問うている。
単なる「究極の選択ゲーム」なんかじゃなくて
自分にとって何が一番大切かっていう
核になる問いかけ。
カトリーヌ・ドヌープだったか
ちょっと記憶があいまいなんだけど往年の大女優が
「私はお金には困らないから、男には美を求める」
みたいな発言があって
おーかっこえー
と思ったけれど、実際今の年収をキープできれば
将来私も別に一緒にいる男性に
「お金」の部分で依存することはないのだ。
子供の教育も家も車も自分でどうにかできる。
じゃあ、彼は自分の好きなこととか家事とか
やってもらって、自分がばりばり稼げばいいのか?
と問うと、今までの私も
今の私もこれからの私も
即答できない。
女が男を無条件に家庭内からサポートする時代は終焉したが
だからって男が女をサポートする時代にはなっていない。
別にそういう時代も期待しない。
個々の選択でそれはありだろうけれど、
自分の男が「主夫」っていうのは
なぜかワクワクしないのは
男には自分の世界で「勝負」をして欲しいから、かな。
そんなんで
もう否定のしようがないくらい負け犬路線真っ只中
ストライクホールインワンなあたくしは
いまさら「男に食わせてもらおうなんて思わない」のに、
なぜか、じゃあこういうシチュエーションで
居心地もいいし、恋できるかっていうとそれは別問題。
あーこれ別にあたしがハムに恋をしちゃったーって
わけじゃないのですよ。
ただ、シュミレーションというか
魅力的ででもお金がない男性との妄想をたらたらと
旅に出るとできるたくさんの時間の合間にしてみる。
ハムはにこにこして兄弟に
「みおには決まった人がいるから僕はチャンスがないのだ
えーん」なんてふざけたこといっているけれど
じゃ、もし私が決まった人がいなければ
私は彼の胸に飛び込めるのだろうか。
頭もいいし、ハンサムだし、
おだやかだし、素敵な人だよ?
世界に出てから
さまざまな魅力的なバックグラウンドをもつ人に会うようになった。
「意見を交換」したことで「わかりあえた」なんてとても言えない。
もちろん時間を一緒に過ごさなければわからないことは
いっぱいあるけれど、人を国を文化を「理解する」っていうことは
自分の中でたくさんの疑問や問いかけを吟味して消化していく
気が遠くなるプロセスがある。
ひとつはっきりしたのは
お金があっても魅力のない男は選ばないということだけ。
まだまだ自分研鑽、
石の中から仏像を掘り出していくように
自分を削る作業が必要だ。
2006年08月30日
砂漠の一夜
具合がよくなったとは言え
まだまだご機嫌のよろしくないQ。
早朝、宿の人が一緒に街に出てくれて
「朝ごはんを食べてから砂漠に向かうといいよ」
といってくれてカフェに行こうと車を拾って
連れて出てくれたのに
「自分は砂漠に向かう」の一点張り。
おいおい、そんなわがままいわなくても
好意はうけとけばいいじゃないよ、と思ったんだけど、
「おまえ、あいつらといたければいろ。メルズーカで会おう。
ガイドブックに載ってる○○ホテルにメッセージ残しとくから」
売り言葉に買い言葉、でじゃあいいよ、
今日は別行動で砂漠で会おうね、ということにした。
これが間違いだったんだなー。
今回の旅のハイライトは
砂漠にQと行く!だったのに、
このが運命の分かれ道。
(会えなかったんだよね、メルズーカで。
あの街はホテルが中心街からはずれているので
”メッセージをおいとく”ということができなかった。
彼メールくれてたけど、私の行った場所ネットカフェなかったし)
「俺が行く!」といえば
「じゃああたしもいくわ」と言うもんだと思ってるんだったら
私は一人でだって大丈夫なんだからね、
・・・・といういつもの強情ぶりを発揮。(とほほ)
結局、彼らと朝ごはん食べて、
では私は砂漠に向かいマース。
と思ったのはいいが、
フランス語ができるQに基本的に任せていたので
私は今回の旅で自分から
自発的に何か聞いたりしていないのであった。
大丈夫は大丈夫なんだけど、実はちょっと不安ということで、
(あーあ)
街の人に、乗り合いタクシーやらバスやら
降りるポイントやらいろいろ聞いているうちに、
一人の青年が
「僕が休みをとって、メルズーガに連れてってあげるよ」
ということになった。
彼は2日前にボマル(という街の名前)で私が
バスで具合の悪くなったQのために、水やら果物やらを
買出ししている最中に、道を教えてくれた青年。
ほかの男の人みたいに、
いかにもっていう誘い言葉かけてきたりしないし、
あくまで控えめで親切な男の子だったのだ。
そ、そんな誰か来てくれれば心強いとはいえ、
そんな会ったばかりの青年が
バスで5時間かかるような場所に
仕事休みとってついてきてくれる、って
ちょっと普通じゃないでしょ。
しかも、私は友達が待ってるんだし。
で、彼。
あー僕は君が友達に会えたらそこで帰るよ。
バス代は払ってね(にっこり)
ということで、期せずして
出会ったばかりの青年とバスで一路砂漠に向かうことになる。
バスの中で、フランスに出稼ぎに出ていた父親との確執や
兄弟のこと、勉強していたアラビア法のことや
プロのガイドになるための試験はお金がないとなれないんだとか
彼の人生と私の人生のあらすじを語りあう。
友達になるのに、相手を全て知る必要はないし、
そもそもそれって無理なことだけれど、
窓を開けなければ新鮮な空気は入ってこない。
新鮮な空気をいれて、自分のもつ空気との混じり具合をみてみる。
悪くない。
雑踏に出ると、さっと荷物もって
でさっと手を握ってくるんだけど、
(で、雑踏から出るとさっと離すの)
なんていうか、他意がなさそうなんだよね。
人ごみは危ないから気をつけてねってそういう感じ。
でもこれって無邪気を狙った”そういう作戦”なのかもしれない、
と一人でぐるぐる考えてみたりする。
馬鹿なあたくし。
さて、夕方にメルズーガについて
案の定、Qがいってたホテルが中心街から7キロ離れたことを
知って、虫の予感で「Qはメッセージを残してはおらんな」と思う。
電話をかけてみたら、「アメリカ人もスペイン人のお客様も
メッセージもございません」という
あーあ、ほらいわんこっちゃない。
というところで、彼。
どうする?僕の友達がいるけどそこにいく?
ということで、彼の友達のところへ。
3キロ離れた、ホテルリベルテ。
ひげのベルベル人のおじさんが
ほかほかのベルベルオムレツを作ってくれる。
うまい。
ここで泊まってもいいのだけれど、
夜の砂漠は静かで素敵なのだというので
で、値段を聞いたら予定の範囲内だったので
(↑これは大切。流れで”友達だからいっかー”で
やばい額を後から請求されたら困るし)
そのまま、夕方の砂漠サファリに出かける。
彼と、ガイドのおじさんと、私。
真っ暗の空の下、ぼんやりとした月明かり。
本当はこれをQとするはずだったのに
どこかで時間のねじが狂って
気がつけば隣にはいるのは
たくましくてほがらかな
クルクルの髪をしたかわいいベルベル人の青年。
しんとした砂漠に
ラクダの踏みしめる砂のかすかな音が響く。
彼のでたらめな歌と
ガイドのおじさんの鼻歌が
夜空に溶けていく。
彼のつかむ私の足首が温かい。
オアシスについたのは夜の11時。
マットレスをひいて、空を見上げる。
そんなにびっくりするような
美しい星空でないのはたぶん雲のせい。
だんだんと星が見えてくる。
ひんやりとした静けさ。
友達に会えなくて残念だったね
でも、君が友達に会えなくて
僕はラッキーだったよ
向けてくる笑顔がまっすぐで。
言葉が直球。
こんな場所で、人を見る目なんて発揮できない。
夜空に包み込まれた限りない静寂のなかで
素敵な男の子と二人でいたら
どうにかならない女の子のほうが不思議だと思う。
が、どうにかならない女の子(→わたくし。あーあー)
別にブログだからかっこつけるわけじゃなくて、
これでうまくいってしまうのはウソでしょうと。
小さなきっこじゃないけど、脳内みおが煽るわけ。
お、いーねーこういうシチュエーションって素敵!ドラマ!と思う自分と
おいおいおいおい、いいのかこんなところで
流れていっても行き着く先は袋小路ダジュールと思う自分。
体内ジキルとハイド。
普段は感情派なのに、こういうときは頑強に理性派。
とにかくまぁ私は
またもジャパニーズスマイス心は侍で
こんな甘いシチュエーションを乗り切るわけ。
一晩限りだえ~い、というのもありなのかもしれませんけれど
刹那的で享楽的な生き方はしないことに決めたので。
気分と乗りで基本的には動く感情的な動物な
私なんだけど結構身持ち固い。(反論いりません)
ってか、なぜこんなところで少年の主張?
ということで、朝。
圧倒されましたねー。
静寂。
飲み込む唾の音がはっきり聞こえるような壮大な静寂。
砂丘の上に登ってみた朝日は思ったよりもゴージャスでは
なかったのだけれど(曇りのせいで)
とにかく、砂漠の見せる凛とした静けさに惚れました。
で、昼になったら人間として機能できないくらい暑い。
まだまだご機嫌のよろしくないQ。
早朝、宿の人が一緒に街に出てくれて
「朝ごはんを食べてから砂漠に向かうといいよ」
といってくれてカフェに行こうと車を拾って
連れて出てくれたのに
「自分は砂漠に向かう」の一点張り。
おいおい、そんなわがままいわなくても
好意はうけとけばいいじゃないよ、と思ったんだけど、
「おまえ、あいつらといたければいろ。メルズーカで会おう。
ガイドブックに載ってる○○ホテルにメッセージ残しとくから」
売り言葉に買い言葉、でじゃあいいよ、
今日は別行動で砂漠で会おうね、ということにした。
これが間違いだったんだなー。
今回の旅のハイライトは
砂漠にQと行く!だったのに、
このが運命の分かれ道。
(会えなかったんだよね、メルズーカで。
あの街はホテルが中心街からはずれているので
”メッセージをおいとく”ということができなかった。
彼メールくれてたけど、私の行った場所ネットカフェなかったし)
「俺が行く!」といえば
「じゃああたしもいくわ」と言うもんだと思ってるんだったら
私は一人でだって大丈夫なんだからね、
・・・・といういつもの強情ぶりを発揮。(とほほ)
結局、彼らと朝ごはん食べて、
では私は砂漠に向かいマース。
と思ったのはいいが、
フランス語ができるQに基本的に任せていたので
私は今回の旅で自分から
自発的に何か聞いたりしていないのであった。
大丈夫は大丈夫なんだけど、実はちょっと不安ということで、
(あーあ)
街の人に、乗り合いタクシーやらバスやら
降りるポイントやらいろいろ聞いているうちに、
一人の青年が
「僕が休みをとって、メルズーガに連れてってあげるよ」
ということになった。
彼は2日前にボマル(という街の名前)で私が
バスで具合の悪くなったQのために、水やら果物やらを
買出ししている最中に、道を教えてくれた青年。
ほかの男の人みたいに、
いかにもっていう誘い言葉かけてきたりしないし、
あくまで控えめで親切な男の子だったのだ。
そ、そんな誰か来てくれれば心強いとはいえ、
そんな会ったばかりの青年が
バスで5時間かかるような場所に
仕事休みとってついてきてくれる、って
ちょっと普通じゃないでしょ。
しかも、私は友達が待ってるんだし。
で、彼。
あー僕は君が友達に会えたらそこで帰るよ。
バス代は払ってね(にっこり)
ということで、期せずして
出会ったばかりの青年とバスで一路砂漠に向かうことになる。
バスの中で、フランスに出稼ぎに出ていた父親との確執や
兄弟のこと、勉強していたアラビア法のことや
プロのガイドになるための試験はお金がないとなれないんだとか
彼の人生と私の人生のあらすじを語りあう。
友達になるのに、相手を全て知る必要はないし、
そもそもそれって無理なことだけれど、
窓を開けなければ新鮮な空気は入ってこない。
新鮮な空気をいれて、自分のもつ空気との混じり具合をみてみる。
悪くない。
雑踏に出ると、さっと荷物もって
でさっと手を握ってくるんだけど、
(で、雑踏から出るとさっと離すの)
なんていうか、他意がなさそうなんだよね。
人ごみは危ないから気をつけてねってそういう感じ。
でもこれって無邪気を狙った”そういう作戦”なのかもしれない、
と一人でぐるぐる考えてみたりする。
馬鹿なあたくし。
さて、夕方にメルズーガについて
案の定、Qがいってたホテルが中心街から7キロ離れたことを
知って、虫の予感で「Qはメッセージを残してはおらんな」と思う。
電話をかけてみたら、「アメリカ人もスペイン人のお客様も
メッセージもございません」という
あーあ、ほらいわんこっちゃない。
というところで、彼。
どうする?僕の友達がいるけどそこにいく?
ということで、彼の友達のところへ。
3キロ離れた、ホテルリベルテ。
ひげのベルベル人のおじさんが
ほかほかのベルベルオムレツを作ってくれる。
うまい。
ここで泊まってもいいのだけれど、
夜の砂漠は静かで素敵なのだというので
で、値段を聞いたら予定の範囲内だったので
(↑これは大切。流れで”友達だからいっかー”で
やばい額を後から請求されたら困るし)
そのまま、夕方の砂漠サファリに出かける。
彼と、ガイドのおじさんと、私。
真っ暗の空の下、ぼんやりとした月明かり。
本当はこれをQとするはずだったのに
どこかで時間のねじが狂って
気がつけば隣にはいるのは
たくましくてほがらかな
クルクルの髪をしたかわいいベルベル人の青年。
しんとした砂漠に
ラクダの踏みしめる砂のかすかな音が響く。
彼のでたらめな歌と
ガイドのおじさんの鼻歌が
夜空に溶けていく。
彼のつかむ私の足首が温かい。
オアシスについたのは夜の11時。
マットレスをひいて、空を見上げる。
そんなにびっくりするような
美しい星空でないのはたぶん雲のせい。
だんだんと星が見えてくる。
ひんやりとした静けさ。
友達に会えなくて残念だったね
でも、君が友達に会えなくて
僕はラッキーだったよ
向けてくる笑顔がまっすぐで。
言葉が直球。
こんな場所で、人を見る目なんて発揮できない。
夜空に包み込まれた限りない静寂のなかで
素敵な男の子と二人でいたら
どうにかならない女の子のほうが不思議だと思う。
が、どうにかならない女の子(→わたくし。あーあー)
別にブログだからかっこつけるわけじゃなくて、
これでうまくいってしまうのはウソでしょうと。
小さなきっこじゃないけど、脳内みおが煽るわけ。
お、いーねーこういうシチュエーションって素敵!ドラマ!と思う自分と
おいおいおいおい、いいのかこんなところで
流れていっても行き着く先は袋小路ダジュールと思う自分。
体内ジキルとハイド。
普段は感情派なのに、こういうときは頑強に理性派。
とにかくまぁ私は
またもジャパニーズスマイス心は侍で
こんな甘いシチュエーションを乗り切るわけ。
一晩限りだえ~い、というのもありなのかもしれませんけれど
刹那的で享楽的な生き方はしないことに決めたので。
気分と乗りで基本的には動く感情的な動物な
私なんだけど結構身持ち固い。(反論いりません)
ってか、なぜこんなところで少年の主張?
ということで、朝。
圧倒されましたねー。
静寂。
飲み込む唾の音がはっきり聞こえるような壮大な静寂。
砂丘の上に登ってみた朝日は思ったよりもゴージャスでは
なかったのだけれど(曇りのせいで)
とにかく、砂漠の見せる凛とした静けさに惚れました。
で、昼になったら人間として機能できないくらい暑い。
2006年08月29日
ユダヤ系アメリカ人であること
「君はどこから来たの?」
旅に出てこれを聞かれないことはない。
会話をスタートするのに
どこの国出身かというのは、無邪気な基本情報である。
私にとっては
日本人であることも
スーダンに生活していることも
みおがみおであることも
別に出し惜しみする必要のない
単なる事実なのであった。
それが、Qは全く違う。
まず彼は自分がアメリカ人だということを明かさない。
今のご時世ではそれはわからなくはない。
彼の苗字は典型的なユダヤ人のそれなので
彼は自分の本名すら徹底的に明かさない。
時にそれは人を不審がらせる。
なんで君は出身を教えてくれないのさ?
君の本当の名前は何?
それにQは
「なんでお前にそれを教えなくちゃいけないんだよ」
と挑発的に返す。
私が日本人だと知ると
モロッコ人の多くは特にたいした意味はなく
「Oh Japan is good country」
「Japanese are good people」とか言う。
それはもちろんQにあてつけたものではないのだけれど、
彼が聞いて痛い笑顔をもらす。
そのあとに
「で、そちらの彼はどちらの出身で」というと
Qは「僕は火星から来たのです」とかいうわけ。
冗談がわかる人であはははで終わればいいのだけれど
多くはそこで
「だからさーどこから来たのか教えてよ」というと
Qは本当にいまいましく「Fuck」とつぶやくのだ。
それにフレンドリーに聞いてた人はびっくりしちゃうのだ。
どうでもいい場合は彼は自分がスペインから来た、といっている。
ウソではないし。
彼の場合、みかけでモロッコ人と間違えられもする。
彼を知ろうとして、更に質問をすると刃を向ける。
俺にさわるな、とばかりに。
彼がアメリカ人であることも
親戚の多くはイスラエルから来たことも
ユダヤ人であることも
彼が世界に出て行くことに
精神的な大きなハンディになっている。
確かに世の中にはおかしな差別主義者がいて
理由のない嫌がらせをしたりする。
初めて会ってどの人がおかしい差別主義者で
どの人が普通にいい人かを見抜くのは難しいから
火星から来た(時にはスペインから来た)Q
と自分を偽るのだろうけれど、
私にはそれはとても息苦しいことだと思う。
自分が自分でいられないということ。
そういえば、昔つきあいのあったパキスタン人の
ドラックディーラーは出会ったときに
自分はモロッコ人だ、と言っていたのをふと思い出した。
今になればほほえましい思い出だけれども。(苦笑)
彼が友達を簡単に作らないのも
彼が自分の正体を簡単に明かさないからだ。
扉を開けたあとに踏み込んできた人がつけた傷で
心をかたくなに閉ざしてしまったらもったいないと思うのだけれど、
”Good people がいるGood country”から来た
無邪気な日本人の私には分かり合えない痛みなのだと思う。
政治活動に関わってきた彼が
今はすっぱり政治から足を洗ってしまったのも
政治の限界、人々の裏表にうんざりしたからだという。
それでも物理という、理論と実験で語る学問に進んだ彼は
昔よりもっと人間の業の中心に向かっている気がする。
人が彼に不審を抱いたり、むかついたりするのは
ユダヤ人だからというより
アメリカ人だからというより
それを居心地悪く思っている彼の強情な態度から来るものが
多いと思うのだけれど、こういうことって
言葉を慎重に選んでみても
どこか核心を貫かない気がする。
だから、私はそういう彼を横で静かに見守るだけだ。
私は彼の態度や言動にいらつきもするし
むかつきもするけれど、
少なくともそれは
彼がユダヤ人だから、とかアメリカ人だから
でないことを彼はちゃんとわかっている。
受け入れることと理解するのには別のこと。
心を許した友達といっても、どこまで分かり合えるのだろう。
彼は今日は体調を崩して一日寝ていた。
彼をおいて一人でいろいろ歩きながら
ずーっと彼のことを考えていた。
みんな超いい笑顔
旅に出てこれを聞かれないことはない。
会話をスタートするのに
どこの国出身かというのは、無邪気な基本情報である。
私にとっては
日本人であることも
スーダンに生活していることも
みおがみおであることも
別に出し惜しみする必要のない
単なる事実なのであった。
それが、Qは全く違う。
まず彼は自分がアメリカ人だということを明かさない。
今のご時世ではそれはわからなくはない。
彼の苗字は典型的なユダヤ人のそれなので
彼は自分の本名すら徹底的に明かさない。
時にそれは人を不審がらせる。
なんで君は出身を教えてくれないのさ?
君の本当の名前は何?
それにQは
「なんでお前にそれを教えなくちゃいけないんだよ」
と挑発的に返す。
私が日本人だと知ると
モロッコ人の多くは特にたいした意味はなく
「Oh Japan is good country」
「Japanese are good people」とか言う。
それはもちろんQにあてつけたものではないのだけれど、
彼が聞いて痛い笑顔をもらす。
そのあとに
「で、そちらの彼はどちらの出身で」というと
Qは「僕は火星から来たのです」とかいうわけ。
冗談がわかる人であはははで終わればいいのだけれど
多くはそこで
「だからさーどこから来たのか教えてよ」というと
Qは本当にいまいましく「Fuck」とつぶやくのだ。
それにフレンドリーに聞いてた人はびっくりしちゃうのだ。
どうでもいい場合は彼は自分がスペインから来た、といっている。
ウソではないし。
彼の場合、みかけでモロッコ人と間違えられもする。
彼を知ろうとして、更に質問をすると刃を向ける。
俺にさわるな、とばかりに。
彼がアメリカ人であることも
親戚の多くはイスラエルから来たことも
ユダヤ人であることも
彼が世界に出て行くことに
精神的な大きなハンディになっている。
確かに世の中にはおかしな差別主義者がいて
理由のない嫌がらせをしたりする。
初めて会ってどの人がおかしい差別主義者で
どの人が普通にいい人かを見抜くのは難しいから
火星から来た(時にはスペインから来た)Q
と自分を偽るのだろうけれど、
私にはそれはとても息苦しいことだと思う。
自分が自分でいられないということ。
そういえば、昔つきあいのあったパキスタン人の
ドラックディーラーは出会ったときに
自分はモロッコ人だ、と言っていたのをふと思い出した。
今になればほほえましい思い出だけれども。(苦笑)
彼が友達を簡単に作らないのも
彼が自分の正体を簡単に明かさないからだ。
扉を開けたあとに踏み込んできた人がつけた傷で
心をかたくなに閉ざしてしまったらもったいないと思うのだけれど、
”Good people がいるGood country”から来た
無邪気な日本人の私には分かり合えない痛みなのだと思う。
政治活動に関わってきた彼が
今はすっぱり政治から足を洗ってしまったのも
政治の限界、人々の裏表にうんざりしたからだという。
それでも物理という、理論と実験で語る学問に進んだ彼は
昔よりもっと人間の業の中心に向かっている気がする。
人が彼に不審を抱いたり、むかついたりするのは
ユダヤ人だからというより
アメリカ人だからというより
それを居心地悪く思っている彼の強情な態度から来るものが
多いと思うのだけれど、こういうことって
言葉を慎重に選んでみても
どこか核心を貫かない気がする。
だから、私はそういう彼を横で静かに見守るだけだ。
私は彼の態度や言動にいらつきもするし
むかつきもするけれど、
少なくともそれは
彼がユダヤ人だから、とかアメリカ人だから
でないことを彼はちゃんとわかっている。
受け入れることと理解するのには別のこと。
心を許した友達といっても、どこまで分かり合えるのだろう。
彼は今日は体調を崩して一日寝ていた。
彼をおいて一人でいろいろ歩きながら
ずーっと彼のことを考えていた。
みんな超いい笑顔
2006年08月28日
村上春樹新作
名前のバラエティが少ないこの国。
街中で石を投げたらムハンマドに当たる可能性80%じゃないかと
本気で思うくらい、ムハンマド含有率が高い。
ムハンマドでなければ、
アブドゥルかアーマッド>10%
その他>10%
私の勝手な印象ですが。
で、女はこれまたファティマかアイシャばっか。
名前をつける意味があるのか?と思ってしまうが
今日会った4人のベルベル人の女の子も
3人ファティマだった。
私はファティマ、あなたもファティマ
彼女もファティマ、ママもファティマ。
で、あなたの名前は?と聞かれたので
「私もファティマだよ」と言ってみる。
昨晩、酒によった宿の男が
私の目を見ながら、
僕のファティマ~♪と太鼓に合わせていいかげんな歌を
歌っていたのだった。
ファティマ多すぎて区別つかないじゃんと言ったら、
じゃあ、君はファティマ・クスクスだと命名された。
クスクスとは北アフリカで日常的に食べられている
粒粒状の主食だ。ちょっぴり黄色で野菜やら肉に混ぜて食べる。
食感がよくておいしい。
主食なので、日本で言うところのごはんなんだが
ファティマがどこでもみかける(銀行や郵便局の記入例を抜かして
現実ではそんなにいないけれど)花子みたいなもんで
さしあたり私は
炊きたてご飯花子 もしくは おにぎり花子
といったところだ。
村上春樹の新作に出てきてもよさそうな
シュールな響き。
浅草ナツメグと加納クレタ
田村カフカとオニギリ花子
ね?
マラケシュの握り飯とかそんな題名で。
これからはわたくしをファティマ・クスクスと呼んでください。
サラーマ
街中で石を投げたらムハンマドに当たる可能性80%じゃないかと
本気で思うくらい、ムハンマド含有率が高い。
ムハンマドでなければ、
アブドゥルかアーマッド>10%
その他>10%
私の勝手な印象ですが。
で、女はこれまたファティマかアイシャばっか。
名前をつける意味があるのか?と思ってしまうが
今日会った4人のベルベル人の女の子も
3人ファティマだった。
私はファティマ、あなたもファティマ
彼女もファティマ、ママもファティマ。
で、あなたの名前は?と聞かれたので
「私もファティマだよ」と言ってみる。
昨晩、酒によった宿の男が
私の目を見ながら、
僕のファティマ~♪と太鼓に合わせていいかげんな歌を
歌っていたのだった。
ファティマ多すぎて区別つかないじゃんと言ったら、
じゃあ、君はファティマ・クスクスだと命名された。
クスクスとは北アフリカで日常的に食べられている
粒粒状の主食だ。ちょっぴり黄色で野菜やら肉に混ぜて食べる。
食感がよくておいしい。
主食なので、日本で言うところのごはんなんだが
ファティマがどこでもみかける(銀行や郵便局の記入例を抜かして
現実ではそんなにいないけれど)花子みたいなもんで
さしあたり私は
炊きたてご飯花子 もしくは おにぎり花子
といったところだ。
村上春樹の新作に出てきてもよさそうな
シュールな響き。
浅草ナツメグと加納クレタ
田村カフカとオニギリ花子
ね?
マラケシュの握り飯とかそんな題名で。
これからはわたくしをファティマ・クスクスと呼んでください。
サラーマ
2006年08月27日
ネタ?
Qといてホテルを取るとフロントで必ず聞かれる。
受付「彼は君のオット?」
みお「ちがうよ」
受付「君のボーイフレンド?」
みお「ちがうよ」
受付「彼とは寝た?」
みお「寝てないよ」
受付「本当に?」
みお「ほんとだよ」
笑っちゃうんだけど、これどこでも聞かれるのだ。
Never?と念を押されるあたり、
やっぱりここはムスリム国。
モロッコでは、モロッコ人と泊まる外国人女性は
結婚証明書を見せないと同じ部屋には泊まれないとか、
そんな話もあるし、
基本的に外国人同士では問題はないのだが
単なる興味と好奇心で
普通にスいレートにプライベートな質問をされる。
君は結婚してる?くらいだったら
どこでも聞かれるけれど、
それに続けて
君はバージン?
とか初めて出会った人に聞かれた日には、
心が広いあたくしだって、
なんで出会ったばかりのあんたに
私の性暦を明かさないといかんのじゃー!!うりゃー
と思っても不思議はないでしょ?
まぁこういうのはさらりとかわすのが大人だが、
困るのは、Qが私の彼氏じゃないと
隙をみつけてくどいてくる男が結構いることだ。
日本人はこういうところではモテルのは
今に始まったことじゃないので、
こんなことでワクワクしたりはしないが、
体とビザが目的の男はうっとうしい。(←すぐわかる)
純粋に私に興味があるのならいいけどね。ウフ。(ウソ)
ハンマームにいったあとに
ベルベルマッサージをしてあげるよ とか
彼が寝たあとにおしゃべりしよう とか
今度は一人でおいで とか
こんなんでついてくる女がいるのか?と思うが
ヨーロッパとアラブとアフリカの調合具合が絶妙な
男らしくて洗練されたモロッコの男性は、
ハンサムで物腰がやわらかい人が多いので
コロリとまいっちゃう人もいるのでしょう。
おとといいらっしゃい。
今日はマラケシュからワルザザードの途中までバスで、
それからヒッチハイクしてBen Hadduにやってきた。
カスパ(泥でできた建物)が素敵な砂漠色の静かな町だ。
ホテルの屋上にマットレスを敷いて星を眺める。
最高にしずかで最高に美しい。
自分だけ寝袋をもっているQはあっさり寝てしまい、
しゃべっているうちに返事がなくなって
横見たら、寝てた。こんな奴だよ・・・
私は明け方寒さで目が覚めて、建物の中に戻る。
外に寝るのは、気持ちがいいが朝が寒い。
温かくて甘いカフェで目覚める朝
後ろに広がるのはカスパ
受付「彼は君のオット?」
みお「ちがうよ」
受付「君のボーイフレンド?」
みお「ちがうよ」
受付「彼とは寝た?」
みお「寝てないよ」
受付「本当に?」
みお「ほんとだよ」
笑っちゃうんだけど、これどこでも聞かれるのだ。
Never?と念を押されるあたり、
やっぱりここはムスリム国。
モロッコでは、モロッコ人と泊まる外国人女性は
結婚証明書を見せないと同じ部屋には泊まれないとか、
そんな話もあるし、
基本的に外国人同士では問題はないのだが
単なる興味と好奇心で
普通にスいレートにプライベートな質問をされる。
君は結婚してる?くらいだったら
どこでも聞かれるけれど、
それに続けて
君はバージン?
とか初めて出会った人に聞かれた日には、
心が広いあたくしだって、
なんで出会ったばかりのあんたに
私の性暦を明かさないといかんのじゃー!!うりゃー
と思っても不思議はないでしょ?
まぁこういうのはさらりとかわすのが大人だが、
困るのは、Qが私の彼氏じゃないと
隙をみつけてくどいてくる男が結構いることだ。
日本人はこういうところではモテルのは
今に始まったことじゃないので、
こんなことでワクワクしたりはしないが、
体とビザが目的の男はうっとうしい。(←すぐわかる)
純粋に私に興味があるのならいいけどね。ウフ。(ウソ)
ハンマームにいったあとに
ベルベルマッサージをしてあげるよ とか
彼が寝たあとにおしゃべりしよう とか
今度は一人でおいで とか
こんなんでついてくる女がいるのか?と思うが
ヨーロッパとアラブとアフリカの調合具合が絶妙な
男らしくて洗練されたモロッコの男性は、
ハンサムで物腰がやわらかい人が多いので
コロリとまいっちゃう人もいるのでしょう。
おとといいらっしゃい。
今日はマラケシュからワルザザードの途中までバスで、
それからヒッチハイクしてBen Hadduにやってきた。
カスパ(泥でできた建物)が素敵な砂漠色の静かな町だ。
ホテルの屋上にマットレスを敷いて星を眺める。
最高にしずかで最高に美しい。
自分だけ寝袋をもっているQはあっさり寝てしまい、
しゃべっているうちに返事がなくなって
横見たら、寝てた。こんな奴だよ・・・
私は明け方寒さで目が覚めて、建物の中に戻る。
外に寝るのは、気持ちがいいが朝が寒い。
温かくて甘いカフェで目覚める朝
後ろに広がるのはカスパ
2006年08月26日
マラケシュの炎
25日にはカサブランカから列車に乗って
マラケシュへ。
ヨーロッパの下町の香りがたっぷりのカサブランカに比べると
マラケシュは魅惑のアラブ色が強い。
金曜日の夜は
旧市街の広場にヘビ使いやら街頭パフォーマンスやら
手のひらにヘナでデザインをしてくれるおばさんたちや
しぼりたてのオレンジジュースを飲ませてくれるジューススタンドやら
煙をたてて肉を焼く屋台で喧騒に包まれる。
土でできた狭い街路を出て、広場に向かうと
広がる煙と人ごみでくすぶった鮮やかな色彩に
圧倒される。
世界中からモロッコ中から集まった人人人。
ばったもんを売るアクセサリーや
かばんやカラフルな皮の履物。
スカーフをかぶって全身を隠したモロッコ女性がいれば
タンクトップに短パンで健康的な体を見せている
若いヨーロッパの女の子もいる。
世界中のどこかにありそうで
どこにもない
マラケシュの夜。
今日はQの31歳のバースデー
広場からちょっとはずれたところにある
レストランでディナーをする。
スーダンで働く日本人の私
スペインで研究するアメリカ人の彼
モロッコのマラケシュの「アルハンブラ」で
再会10年目誕生31周年を祝う。
なんだかクラクラしそうな世界の広がりと彩り。
信じられるのは目の前にある、手に触れる現実。
10年って長いようで長くない。
二人とも昔とは違うけれど、
あの時の路線とそんなに変わらないのがおかしい。
もう「英語下手だな」とは言われなくなったけれど、
「相変わらず強情だな」と言われてる。
お店できれいなポストカードの場所の名前を
おじさんの目の前でメモして嫌がられたり、
買わないポテトチップを放り投げて怒られたりしてる彼。
10年前のあのとき、会わなかったら
私は今ここに彼とこうやっていることはない。
世界の広さ
出会いの妙
時間の流れ
砂糖で歯が貫通しそうなお茶を飲んで、
じゅうだんやら靴やらをお店で覗いたり、
あとはどこへいくともなく
マラケシュを歩いて
もしくはテラスで隣室の旅人にもらった
ジョイントを吸いながら
果てることなくおしゃべりをする
おしゃべりが終わってから
ハンマーム(公衆浴場)へ。
街には必ずひとつはあるといわれるハンマーム。
トイレみたいに男性と女性のマークがついていて
入ると10DH(120円くらい)払ってバケツをもらう。
おばさんにあかすりとマッサージを頼むと
あと20DHかかるのだけれど、
現地の人は、マイあかすり持参で
お互いに垢のすりあいっこをしている。
床にぺたんとすわりこんで、なみなみと蛇口から
注がれるお湯を使って体を洗う。
ちなみに、「お湯に浸かる」ことはしない。
お湯の蒸気でサウナみたいになっていて
蒸し暑いなかで垢を落とすに最適な環境。
マッサージを頼んだら
床にねそべってっていわれ、
あかすりでごしごし。頭から始まって足の裏で終わった、と思ったら
それから顔をこすられた(笑)
同じ宿に泊まっていたスペイン人の女の子たちと言ったんだけど
みんなで大笑い。
ハンマームのあとは
びっくりするほど顔がつるつるになっている。
お肌もすべすべ。心もぴかぴか。
マラケシュの炎の残像に包まれながら
ベッドにもぐりこむ。
市場で買ったマラケシュの手作りの靴2点。
マラケシュへ。
ヨーロッパの下町の香りがたっぷりのカサブランカに比べると
マラケシュは魅惑のアラブ色が強い。
金曜日の夜は
旧市街の広場にヘビ使いやら街頭パフォーマンスやら
手のひらにヘナでデザインをしてくれるおばさんたちや
しぼりたてのオレンジジュースを飲ませてくれるジューススタンドやら
煙をたてて肉を焼く屋台で喧騒に包まれる。
土でできた狭い街路を出て、広場に向かうと
広がる煙と人ごみでくすぶった鮮やかな色彩に
圧倒される。
世界中からモロッコ中から集まった人人人。
ばったもんを売るアクセサリーや
かばんやカラフルな皮の履物。
スカーフをかぶって全身を隠したモロッコ女性がいれば
タンクトップに短パンで健康的な体を見せている
若いヨーロッパの女の子もいる。
世界中のどこかにありそうで
どこにもない
マラケシュの夜。
今日はQの31歳のバースデー
広場からちょっとはずれたところにある
レストランでディナーをする。
スーダンで働く日本人の私
スペインで研究するアメリカ人の彼
モロッコのマラケシュの「アルハンブラ」で
再会10年目誕生31周年を祝う。
なんだかクラクラしそうな世界の広がりと彩り。
信じられるのは目の前にある、手に触れる現実。
10年って長いようで長くない。
二人とも昔とは違うけれど、
あの時の路線とそんなに変わらないのがおかしい。
もう「英語下手だな」とは言われなくなったけれど、
「相変わらず強情だな」と言われてる。
お店できれいなポストカードの場所の名前を
おじさんの目の前でメモして嫌がられたり、
買わないポテトチップを放り投げて怒られたりしてる彼。
10年前のあのとき、会わなかったら
私は今ここに彼とこうやっていることはない。
世界の広さ
出会いの妙
時間の流れ
砂糖で歯が貫通しそうなお茶を飲んで、
じゅうだんやら靴やらをお店で覗いたり、
あとはどこへいくともなく
マラケシュを歩いて
もしくはテラスで隣室の旅人にもらった
ジョイントを吸いながら
果てることなくおしゃべりをする
おしゃべりが終わってから
ハンマーム(公衆浴場)へ。
街には必ずひとつはあるといわれるハンマーム。
トイレみたいに男性と女性のマークがついていて
入ると10DH(120円くらい)払ってバケツをもらう。
おばさんにあかすりとマッサージを頼むと
あと20DHかかるのだけれど、
現地の人は、マイあかすり持参で
お互いに垢のすりあいっこをしている。
床にぺたんとすわりこんで、なみなみと蛇口から
注がれるお湯を使って体を洗う。
ちなみに、「お湯に浸かる」ことはしない。
お湯の蒸気でサウナみたいになっていて
蒸し暑いなかで垢を落とすに最適な環境。
マッサージを頼んだら
床にねそべってっていわれ、
あかすりでごしごし。頭から始まって足の裏で終わった、と思ったら
それから顔をこすられた(笑)
同じ宿に泊まっていたスペイン人の女の子たちと言ったんだけど
みんなで大笑い。
ハンマームのあとは
びっくりするほど顔がつるつるになっている。
お肌もすべすべ。心もぴかぴか。
マラケシュの炎の残像に包まれながら
ベッドにもぐりこむ。
市場で買ったマラケシュの手作りの靴2点。
2006年08月25日
Qについて
今回モロッコで一緒に旅したQは
私が1996年の2月にグアテマラで出会った
アメリカ人の物理学者だ。
スペインに住むユダヤ人でもある。
グアテマラで、と書いたのだけれど、
彼曰くメキシコで出会ったグアテマラまで旅をした、らしい。
そうかもしれない。過去の記憶は時間がたつとゆがんでいく。
出会ったときは彼はアフロだった。
ヤンキーズの色褪せたタンクトップを来た長身のアフロボーイ。
「おまえ長く勉強している割に英語下手だな」と言われた。
ずいぶんとみんなに「英語うまいね」と言われるようになった後に。
傲慢で、乱暴で喧嘩っ早いけれど
チェスと料理がうまく、いろんなことを考えている少年。
意地っ張りで強情で、おいしいものを食べるのが好きで
よくしゃべる私とは合うときは最高に合う、
でもけんかもするときはまじで切れて、
でもなにかしっくりくるものがあって
友人関係が今年で10年になった。
メキシコのジャングルで泳いで
ティカルの遺跡でパワーチャージして
グアテマラの小さな島で一緒に生活した。
アラスカ旅行は私が病気でキャンセルしてしまったのだけれど
オランダでマジックマッシュルームを食べて
普段見えないものを見たり、
イタリアの遺跡で、過去を語ったり、
イギリスのストーンヘンジでこれからのことをいろいろ話したり
今回のモロッコは5回目の再会。
その間に、学生だったあたしは卒業して
5年前に彼に語っていたように、国際機関に入った。
彼は厳密にいうとまだ博士課程の学生ではあるのだけれど
アメリカ政府から奨学金をもらってスペインで
研究生活をしている。結婚はしてないけれど
2歳の女の子がいるパパになった。
3年前に彼からながーい手紙が来た。
本音の叫びを、彼の今までの人生を語った力作の独白だった。
こんなに長い手紙を私は未だかつて誰からも
もらったことはない。
この3年前の手紙に、今年スーダンに行く前の
ドーハの空港で5時間かけて10枚以上の長い返事を書いた。
このメールも電話もチャットもある時代に
ほそぼそーと続けられる手書きの交流。
10年をかけてゆっくりはぐくんできた稀有な友情。
世界中の女と(たぶん男とも)寝てきた彼曰く、
ガールフレンドを作るのは簡単だが、
友達を作るのは難しい。
彼にはほんの友達が少ししかいない。
彼は周りの人に囲まれることで自我を安定させるような人ではないのだ。
ものすごく孤高で理想主義で深遠。
そんな彼の友達になれたことはちょっぴり私の誇りだ。
私にとって、友達を作るのは難しいことはないのだけれど、
彼ほど長い時間をかけて、理解してきた人はいないと思う。
こんなところで宣言することでもないけれど
これは、男と女だからって
寝てしまったらできないことだ。
友達関係が深まっていって恋人になるのではなく、
私たちは友達関係が深まってさらにいい友達になる。
砂漠で究極の静けさの中で何を語ろうか。
3年分の空白を埋めるように。
話したいことはいくらでもある。
10年越しの友人と旅するモロッコ、
スペシャルな時間になりそうな予感がする。
私が1996年の2月にグアテマラで出会った
アメリカ人の物理学者だ。
スペインに住むユダヤ人でもある。
グアテマラで、と書いたのだけれど、
彼曰くメキシコで出会ったグアテマラまで旅をした、らしい。
そうかもしれない。過去の記憶は時間がたつとゆがんでいく。
出会ったときは彼はアフロだった。
ヤンキーズの色褪せたタンクトップを来た長身のアフロボーイ。
「おまえ長く勉強している割に英語下手だな」と言われた。
ずいぶんとみんなに「英語うまいね」と言われるようになった後に。
傲慢で、乱暴で喧嘩っ早いけれど
チェスと料理がうまく、いろんなことを考えている少年。
意地っ張りで強情で、おいしいものを食べるのが好きで
よくしゃべる私とは合うときは最高に合う、
でもけんかもするときはまじで切れて、
でもなにかしっくりくるものがあって
友人関係が今年で10年になった。
メキシコのジャングルで泳いで
ティカルの遺跡でパワーチャージして
グアテマラの小さな島で一緒に生活した。
アラスカ旅行は私が病気でキャンセルしてしまったのだけれど
オランダでマジックマッシュルームを食べて
普段見えないものを見たり、
イタリアの遺跡で、過去を語ったり、
イギリスのストーンヘンジでこれからのことをいろいろ話したり
今回のモロッコは5回目の再会。
その間に、学生だったあたしは卒業して
5年前に彼に語っていたように、国際機関に入った。
彼は厳密にいうとまだ博士課程の学生ではあるのだけれど
アメリカ政府から奨学金をもらってスペインで
研究生活をしている。結婚はしてないけれど
2歳の女の子がいるパパになった。
3年前に彼からながーい手紙が来た。
本音の叫びを、彼の今までの人生を語った力作の独白だった。
こんなに長い手紙を私は未だかつて誰からも
もらったことはない。
この3年前の手紙に、今年スーダンに行く前の
ドーハの空港で5時間かけて10枚以上の長い返事を書いた。
このメールも電話もチャットもある時代に
ほそぼそーと続けられる手書きの交流。
10年をかけてゆっくりはぐくんできた稀有な友情。
世界中の女と(たぶん男とも)寝てきた彼曰く、
ガールフレンドを作るのは簡単だが、
友達を作るのは難しい。
彼にはほんの友達が少ししかいない。
彼は周りの人に囲まれることで自我を安定させるような人ではないのだ。
ものすごく孤高で理想主義で深遠。
そんな彼の友達になれたことはちょっぴり私の誇りだ。
私にとって、友達を作るのは難しいことはないのだけれど、
彼ほど長い時間をかけて、理解してきた人はいないと思う。
こんなところで宣言することでもないけれど
これは、男と女だからって
寝てしまったらできないことだ。
友達関係が深まっていって恋人になるのではなく、
私たちは友達関係が深まってさらにいい友達になる。
砂漠で究極の静けさの中で何を語ろうか。
3年分の空白を埋めるように。
話したいことはいくらでもある。
10年越しの友人と旅するモロッコ、
スペシャルな時間になりそうな予感がする。
2006年08月24日
陰影の強さがまぶしい国
当然のように全身全霊筋肉痛。
22日は一日かけてスーダンの砂漠を4WDで走り、
23日の早朝6時に出る彼と一緒に朝の4時には空港に行き、
私自身は8時の便でカイロへ。
午前中は博物館で知恵熱にあぶられ、
午後は馬とラクダで宿に戻ってきたのが1時半。
それから朝の5時まで同室の人たちと話し
迎えた24日。
今日は3年ぶりの友に再会する日。
こんな無理ができるのも日常から離れると
携帯電源が放電して
疲れを疲れと感じなくなっちゃうから。
ランナーズハイじゃないけれど
トラベラーズハイ
勝手に脳内に天然麻薬が合成されてる。
酒も薬もいらずに、ナチュラルに。
空港にいったら、迎えにきているはずのやつはいない。
当然、花束をもってスーツでむかえてくれるような
人でも関係でもないので期待はしていないけど(苦笑)
2時間も待っていないので、とりあえず街に出て
腹ごしらえをすることにする。
ネットカフェで「ホテルを予約しといたから」の
彼のメールを読んで、先にチェックインする。
昼ごはんを一緒に食べよう、と書いておいて
4時になっても現れない。奴らしい。
6時半には戻るよ、夕食を食べようねと書いて
街に出る。
カサブランカは不思議な街だ。
アフリカというより断然ヨーロッパ。
パリを彷彿とさせる街角のオープンカフェ。
ヨーロッパとアラブがまざったエキゾティックな人たち。
モロッコの情報を集めていて
みつけたホームページにこんな素敵な言葉が載っていた。
管理人の彼女は私と同じ年。
モロッコにまっすぐ向き合っている姿勢がとてもいい。
曰く:
「純粋」であるということは、
何も「真っ白」であることとは限らない。
時には黒く、時には白いのが人間の姿であるとするならば、
モロッコという国は、そこに照りつける太陽の強さゆえか、
ひたすらその陰影の強さがまぶしい国かもしれません。
(モロッコ旅のまよいかたhttp://www.mayoikata.com/より)
(ベンハドゥにて撮影)
エキゾチックでゆるやかで
濃くてマイルドで甘い、そんなモロッコ。
今まで行ったどの国とも違う最初のモロッコの顔を
カフェのテーブルに座ってエスプレッソを飲みながら
堪能する。
6時半に帰ったら
真っ暗の部屋でQが裸でグースカ寝ていた。
びっくりするほどマイペースで自然体。
3年ぶりの再会があっけなく開幕。
22日は一日かけてスーダンの砂漠を4WDで走り、
23日の早朝6時に出る彼と一緒に朝の4時には空港に行き、
私自身は8時の便でカイロへ。
午前中は博物館で知恵熱にあぶられ、
午後は馬とラクダで宿に戻ってきたのが1時半。
それから朝の5時まで同室の人たちと話し
迎えた24日。
今日は3年ぶりの友に再会する日。
こんな無理ができるのも日常から離れると
携帯電源が放電して
疲れを疲れと感じなくなっちゃうから。
ランナーズハイじゃないけれど
トラベラーズハイ
勝手に脳内に天然麻薬が合成されてる。
酒も薬もいらずに、ナチュラルに。
空港にいったら、迎えにきているはずのやつはいない。
当然、花束をもってスーツでむかえてくれるような
人でも関係でもないので期待はしていないけど(苦笑)
2時間も待っていないので、とりあえず街に出て
腹ごしらえをすることにする。
ネットカフェで「ホテルを予約しといたから」の
彼のメールを読んで、先にチェックインする。
昼ごはんを一緒に食べよう、と書いておいて
4時になっても現れない。奴らしい。
6時半には戻るよ、夕食を食べようねと書いて
街に出る。
カサブランカは不思議な街だ。
アフリカというより断然ヨーロッパ。
パリを彷彿とさせる街角のオープンカフェ。
ヨーロッパとアラブがまざったエキゾティックな人たち。
モロッコの情報を集めていて
みつけたホームページにこんな素敵な言葉が載っていた。
管理人の彼女は私と同じ年。
モロッコにまっすぐ向き合っている姿勢がとてもいい。
曰く:
「純粋」であるということは、
何も「真っ白」であることとは限らない。
時には黒く、時には白いのが人間の姿であるとするならば、
モロッコという国は、そこに照りつける太陽の強さゆえか、
ひたすらその陰影の強さがまぶしい国かもしれません。
(モロッコ旅のまよいかたhttp://www.mayoikata.com/より)
(ベンハドゥにて撮影)
エキゾチックでゆるやかで
濃くてマイルドで甘い、そんなモロッコ。
今まで行ったどの国とも違う最初のモロッコの顔を
カフェのテーブルに座ってエスプレッソを飲みながら
堪能する。
6時半に帰ったら
真っ暗の部屋でQが裸でグースカ寝ていた。
びっくりするほどマイペースで自然体。
3年ぶりの再会があっけなく開幕。
2006年08月23日
ラクダに乗った王子様
一日トランジット@エジプト
国連割引を使って高級ホテルでのんびりして
バスでピラミッド行ってきて、という
マダム系でいく手もあったのだが、
なんか今回はバックパック背負ってピラミッドの謎に迫る!!
(ミステリーハンター風に)
みたいにやろうと思いついた朝の空港。
早朝にカイロにつき、バスに乗って町の中心部まで
ロンリープラネットに乗ってた安宿にチェックイン。
さすがに、シングル取ろうと思っていたのだけれど
空きがなかったので、やむなくドミトリー。
20代前半はこれ、いっぱいやったけど、
30代にはいってまだやるか自分?
ドアをあけたら、目がくりくりした金髪の美少年が
にこっと笑いかけてきた。
「アメリカから来た、ニックだよ」
あら、ドミにして正解。(単純)
左となりのベッドはブラジルから来た
セクシーダイナマイト19歳のビクトリア。(美人!)
右となりのベッドはまだぐっすり寝てたけど
サイババ風インド人のITエンジニア。(ラクシュマン)
途中、私に続けて入って来たのはミラノ出身
イタリア人のスマートな弁護士マーティン。
普通に学生も職業人もいて
楽しくなってしまう。
昔とった杵柄、ってこういう使い方はしないか
昔の楽しかったバックパッカーの記憶がムクムク起きてきた。
そのままエジプシャンミュージアムへ。
12万点以上もの展示。
有名なツタンカーメンの黄金仮面や
財宝の数々
「宝物が詰まった倉庫のようである」
というガイドブックの説明がぴったりな博物館。
びっくりしたのは、ミイラをいれたケース。
何千年も前に作られてピラミッドに収まっていた
ミイラケース(というのか)の繊細な芸術。
色といい、デザインといい、保存度といい
すばらしいの一言。見ていて飽きない。
しかし、博物館は普段使わない脳みそが刺激されるので
疲れる。途中休憩もいれて5時間程ぐるぐる歩き回る。
そこからミニバスにのってギザのピラミッドへ。
ピラミッドに行く途中の客引きとナンパのうざいこと。
いかにも、「金をまきあげるぞ」という風情の
うさんくさい男がいっぱい。
ただ4時までしか正門が開いていないということで
(この時点で3時だった)
馬にのって、ピラミッドにいくことにする。
値段交渉でもめたけれど、こういうのは強気でいかないと。
2時間で20ドル。ちょっと高いかなと思ったんだけれど
(2004年版のガイドブックでは一時間で5ドルって書いてあったから)
なんにもしないで帰るのはもったいないし、
久しぶり(@高校生の時にユタで乗って以来)に馬に乗るのも
いいかなと思ったので、馬でいくことにした。
最初だけドキドキしたけど、20分も歩いてたら
ギャロップ(駆け足)も感覚を取り戻す。
ガイドのおじさんと黄金の夕暮れ時を
ピラミッドに向かって走る。最高ー。
正規の門はもうしまっているので、裏側から入るのは
地元の人ばかり。砂漠で椎名誠よろしく馬で駆け巡る。
お日様がカンカンな日中よりも日が弱くなった夕暮れ時がいい。
結局3時間たっぷり馬に乗って、街に戻ろうとしたところで
ミニバスの扉を私が勢いよく閉めたときに
一人の男性の手をはさんでしまった。
謝る私に、なにか言う男。怒ってる!
ま、これは私が悪いんだから謝るしかないかと思ってたんだけど
隣に座ってた若い男性がなんか一喝して
場を収めてくれた。
で、正義の味方風の彼にどこへ行くのかきかれたから
宿に戻るといったら
夕暮れの一番いいときのピラミッドを見ないで帰っちゃうの!?
と驚かれる。時間があるならおいでといわれ、
ついていったらラクダに乗せられる。彼も一緒に。
いいところに連れてってあげるから
君に見せたい場所があるんだ
と言われたときに、これはやばいかな~
と思ったが、
値段を聞いたら「これは僕のInvitationだから」と
はっきり言われたので安心してついていく。
いざとなったら飛び降りるっていう高さでもないのだけれど。
そんなうでっぷしが強そうな男でもないし、
私でも勝てそうだし(失礼)
18人の兄弟がいる、弁護士だというカイロ出身の彼。
本当かどうかはわからないけれど
少なくとも彼の話し方は理性的だし、
地元の人がみんな彼を知っているようで向けてくる笑顔が
温かいので、大丈夫かなと思う。
直感は大切。
で、夕暮れの太陽が地平線に沈む砂漠を
ピラミッドを背にラクダでのんびり歩いていく。
さっき、馬で駆け回った砂漠がまた違う顔を魅せる。
砂丘の上で、ラクダをおりて、
二人で夕陽を眺める。
びっくりするほどロマンティックなシチュエーション。
34歳、独身、弁護士、スマートなエジプト人
人生観がしっかりしていて
話していて楽しい。
いや、こんなんでふらふらはしませんって(笑)
だってね、彼の話を聞いていると
昔の彼女がイギリス人だったり、ノルウェイ人だったりしてるから
外国人慣れしているのは確かだし。
でもね、彼は自分のルーツに誇りをもってるから
自分の国に住みたいらしい。
こういう男に、貢ぎたくなってしまう女っていそうだなぁ。(人ごと)
そのままラクダに乗って
もうひとつのピラミッドに行く。
現地のエジプト人が瞑想にいくという
スペシャルで壊れかけたピラミッド。(名前失念)
これが、なんと5時間もかかったの!往復で。
途中で遊牧民の村で
ビールと豆と肉をごちそうになる。
村では、パレードみたいに
私たちのラクダを追って子供たちが駆けてくる。
楽しかった~
ラクダってけっこう大きいんですよね。
慣れない馬に3時間も乗って走り回ったあとに
ラクダにのって股広げて5時間も歩いていると
これ、極度の筋肉痛の予感。
しかも男の人の背中にはりついて股広げてる
夜の11時って、結構怪しいシチュエーションではある。
(認めます・・・)
やっぱりさ、なんとなくそういう雰囲気に
もっていきたいのはよーくわかるけれど、
やわらかにはっきりと断る。
ジャパニーズスマイルは保ちつつ、
心意気は侍で。
結局、ラクダに7時間(5時から夜の1時まで)乗ってたので
こころばかりのお金をおいてきて、
タクシーで深夜に宿に戻る。
マーティンやニック、ビクトリアもラクシュマンも
起きてきて、飛行機が出るまで朝の5時までおしゃべりする。
自分について
旅について
人生について
エジプトについて
それぞれの転機で、それぞれの思いを持って旅に出てきた
友人には、伝えたいことも聞きたいこともいろいろある。
こういうところで出会ってこれからにつながっていく人もいる。
一日だけのバックパッカー旅行。
多少詰め込みすぎの感はあるけれど、
最高に楽しかった!!
まだ旅は始まったばかり。
旅は人生と同じ。
大切なのは
勢いと直感と荷物が置ける場所と友達。
国連割引を使って高級ホテルでのんびりして
バスでピラミッド行ってきて、という
マダム系でいく手もあったのだが、
なんか今回はバックパック背負ってピラミッドの謎に迫る!!
(ミステリーハンター風に)
みたいにやろうと思いついた朝の空港。
早朝にカイロにつき、バスに乗って町の中心部まで
ロンリープラネットに乗ってた安宿にチェックイン。
さすがに、シングル取ろうと思っていたのだけれど
空きがなかったので、やむなくドミトリー。
20代前半はこれ、いっぱいやったけど、
30代にはいってまだやるか自分?
ドアをあけたら、目がくりくりした金髪の美少年が
にこっと笑いかけてきた。
「アメリカから来た、ニックだよ」
あら、ドミにして正解。(単純)
左となりのベッドはブラジルから来た
セクシーダイナマイト19歳のビクトリア。(美人!)
右となりのベッドはまだぐっすり寝てたけど
サイババ風インド人のITエンジニア。(ラクシュマン)
途中、私に続けて入って来たのはミラノ出身
イタリア人のスマートな弁護士マーティン。
普通に学生も職業人もいて
楽しくなってしまう。
昔とった杵柄、ってこういう使い方はしないか
昔の楽しかったバックパッカーの記憶がムクムク起きてきた。
そのままエジプシャンミュージアムへ。
12万点以上もの展示。
有名なツタンカーメンの黄金仮面や
財宝の数々
「宝物が詰まった倉庫のようである」
というガイドブックの説明がぴったりな博物館。
びっくりしたのは、ミイラをいれたケース。
何千年も前に作られてピラミッドに収まっていた
ミイラケース(というのか)の繊細な芸術。
色といい、デザインといい、保存度といい
すばらしいの一言。見ていて飽きない。
しかし、博物館は普段使わない脳みそが刺激されるので
疲れる。途中休憩もいれて5時間程ぐるぐる歩き回る。
そこからミニバスにのってギザのピラミッドへ。
ピラミッドに行く途中の客引きとナンパのうざいこと。
いかにも、「金をまきあげるぞ」という風情の
うさんくさい男がいっぱい。
ただ4時までしか正門が開いていないということで
(この時点で3時だった)
馬にのって、ピラミッドにいくことにする。
値段交渉でもめたけれど、こういうのは強気でいかないと。
2時間で20ドル。ちょっと高いかなと思ったんだけれど
(2004年版のガイドブックでは一時間で5ドルって書いてあったから)
なんにもしないで帰るのはもったいないし、
久しぶり(@高校生の時にユタで乗って以来)に馬に乗るのも
いいかなと思ったので、馬でいくことにした。
最初だけドキドキしたけど、20分も歩いてたら
ギャロップ(駆け足)も感覚を取り戻す。
ガイドのおじさんと黄金の夕暮れ時を
ピラミッドに向かって走る。最高ー。
正規の門はもうしまっているので、裏側から入るのは
地元の人ばかり。砂漠で椎名誠よろしく馬で駆け巡る。
お日様がカンカンな日中よりも日が弱くなった夕暮れ時がいい。
結局3時間たっぷり馬に乗って、街に戻ろうとしたところで
ミニバスの扉を私が勢いよく閉めたときに
一人の男性の手をはさんでしまった。
謝る私に、なにか言う男。怒ってる!
ま、これは私が悪いんだから謝るしかないかと思ってたんだけど
隣に座ってた若い男性がなんか一喝して
場を収めてくれた。
で、正義の味方風の彼にどこへ行くのかきかれたから
宿に戻るといったら
夕暮れの一番いいときのピラミッドを見ないで帰っちゃうの!?
と驚かれる。時間があるならおいでといわれ、
ついていったらラクダに乗せられる。彼も一緒に。
いいところに連れてってあげるから
君に見せたい場所があるんだ
と言われたときに、これはやばいかな~
と思ったが、
値段を聞いたら「これは僕のInvitationだから」と
はっきり言われたので安心してついていく。
いざとなったら飛び降りるっていう高さでもないのだけれど。
そんなうでっぷしが強そうな男でもないし、
私でも勝てそうだし(失礼)
18人の兄弟がいる、弁護士だというカイロ出身の彼。
本当かどうかはわからないけれど
少なくとも彼の話し方は理性的だし、
地元の人がみんな彼を知っているようで向けてくる笑顔が
温かいので、大丈夫かなと思う。
直感は大切。
で、夕暮れの太陽が地平線に沈む砂漠を
ピラミッドを背にラクダでのんびり歩いていく。
さっき、馬で駆け回った砂漠がまた違う顔を魅せる。
砂丘の上で、ラクダをおりて、
二人で夕陽を眺める。
びっくりするほどロマンティックなシチュエーション。
34歳、独身、弁護士、スマートなエジプト人
人生観がしっかりしていて
話していて楽しい。
いや、こんなんでふらふらはしませんって(笑)
だってね、彼の話を聞いていると
昔の彼女がイギリス人だったり、ノルウェイ人だったりしてるから
外国人慣れしているのは確かだし。
でもね、彼は自分のルーツに誇りをもってるから
自分の国に住みたいらしい。
こういう男に、貢ぎたくなってしまう女っていそうだなぁ。(人ごと)
そのままラクダに乗って
もうひとつのピラミッドに行く。
現地のエジプト人が瞑想にいくという
スペシャルで壊れかけたピラミッド。(名前失念)
これが、なんと5時間もかかったの!往復で。
途中で遊牧民の村で
ビールと豆と肉をごちそうになる。
村では、パレードみたいに
私たちのラクダを追って子供たちが駆けてくる。
楽しかった~
ラクダってけっこう大きいんですよね。
慣れない馬に3時間も乗って走り回ったあとに
ラクダにのって股広げて5時間も歩いていると
これ、極度の筋肉痛の予感。
しかも男の人の背中にはりついて股広げてる
夜の11時って、結構怪しいシチュエーションではある。
(認めます・・・)
やっぱりさ、なんとなくそういう雰囲気に
もっていきたいのはよーくわかるけれど、
やわらかにはっきりと断る。
ジャパニーズスマイルは保ちつつ、
心意気は侍で。
結局、ラクダに7時間(5時から夜の1時まで)乗ってたので
こころばかりのお金をおいてきて、
タクシーで深夜に宿に戻る。
マーティンやニック、ビクトリアもラクシュマンも
起きてきて、飛行機が出るまで朝の5時までおしゃべりする。
自分について
旅について
人生について
エジプトについて
それぞれの転機で、それぞれの思いを持って旅に出てきた
友人には、伝えたいことも聞きたいこともいろいろある。
こういうところで出会ってこれからにつながっていく人もいる。
一日だけのバックパッカー旅行。
多少詰め込みすぎの感はあるけれど、
最高に楽しかった!!
まだ旅は始まったばかり。
旅は人生と同じ。
大切なのは
勢いと直感と荷物が置ける場所と友達。
2006年08月22日
スーダンのピラミッド
さてここで問題です
スーダンにはエジプトよりも多くのピラミッドがある!
○かXか?
答えは・・・
○!
おおお(観客がどよめく)
多分全世界人口の99%知らない
超トリビア雑学豆知識ですが
スーダンには、数だけでいったら
”本家”エジプトよりも多くのピラミッドがあるのです。
ガイドブックによると。
キスチョコ風半復元ピラミッド。
一面ピンクで、幻想的な砂漠。
しかし、これがねー、数だけ多けりゃいいってもんじゃないでしょ!
と即つっこみを入れたくなる、サイズと質(笑)
目をみはるような黄金のツタンカーメンとか
秘宝とかありません。
あ、盗まれちゃっただけかもしれませんけれど。
とにかくまぁスーダンはナイル川もあるし、
ピラミッドも砂漠もあるし、自然もあるし、
一説によると石油も金もダイヤモンドすらあるといわれる
国なので、本腰をいれて「開発」をしたら
ポテンシャルはとても高い国なはずなんだけど。
ポテンシャルが高いままで早20年すぎてしまいましたが・・・
今日は4WDを借りて炎天下の中、ピラミッドを
目指して朝の5時発。はえー。
休日なのに、気合の入った出発時間。
ま、日中になると40度近くなり、しかも日陰もない場所なので
さっさといってまだお日様がぼんやりしているうちに
見てしまおうという計画。
行ってきたのは
Meroe
Musawwarat es Sufra
Naqa
遺跡
どれも砂漠のなかにぽーんとあるし、
案内看板もないので、GPSでみつけるしかない。
ハルツームからの運転手さんも
知らなかったので地元の人に聞きながら
試行錯誤で4時間。
柵もないし、説明もないし(メロエだけは立派な看板があったけれど)
どこからともなくきたおばちゃんやらおじさんが
入場料(10ドル)をとっていくんだけど、
これってどうみても遺産の保存には使われてなさそう。。。
一週間分の生活費?
でもびっくりするような精巧な柱が残っていたりして
砂嵐がびゅーびゅー吹く中(暑くなかったのはよかったんだけど)
栄光の残骸を歩いてきました。
これは、Naqa遺跡。
エジプトの影響を色濃く受けている。
普通、遺跡って過去の英知の溢れるパワーを感じるんだけれど
なんでかな、
スーダンの遺跡ってエネルギーがまだ眠っている感じ。
もしくは枯れてしまったか、風にとばされたか。
砂に眠る過去。独特な寂寥感につつまれる。
そうだ、スーダンに行こう
BGMは定番山下達郎
サイレントクリスマスでどうですか。
きっと君はこーない~
(本当にこなそう・・・)
スーダンにはエジプトよりも多くのピラミッドがある!
○かXか?
答えは・・・
○!
おおお(観客がどよめく)
多分全世界人口の99%知らない
超トリビア雑学豆知識ですが
スーダンには、数だけでいったら
”本家”エジプトよりも多くのピラミッドがあるのです。
ガイドブックによると。
キスチョコ風半復元ピラミッド。
一面ピンクで、幻想的な砂漠。
しかし、これがねー、数だけ多けりゃいいってもんじゃないでしょ!
と即つっこみを入れたくなる、サイズと質(笑)
目をみはるような黄金のツタンカーメンとか
秘宝とかありません。
あ、盗まれちゃっただけかもしれませんけれど。
とにかくまぁスーダンはナイル川もあるし、
ピラミッドも砂漠もあるし、自然もあるし、
一説によると石油も金もダイヤモンドすらあるといわれる
国なので、本腰をいれて「開発」をしたら
ポテンシャルはとても高い国なはずなんだけど。
ポテンシャルが高いままで早20年すぎてしまいましたが・・・
今日は4WDを借りて炎天下の中、ピラミッドを
目指して朝の5時発。はえー。
休日なのに、気合の入った出発時間。
ま、日中になると40度近くなり、しかも日陰もない場所なので
さっさといってまだお日様がぼんやりしているうちに
見てしまおうという計画。
行ってきたのは
Meroe
Musawwarat es Sufra
Naqa
遺跡
どれも砂漠のなかにぽーんとあるし、
案内看板もないので、GPSでみつけるしかない。
ハルツームからの運転手さんも
知らなかったので地元の人に聞きながら
試行錯誤で4時間。
柵もないし、説明もないし(メロエだけは立派な看板があったけれど)
どこからともなくきたおばちゃんやらおじさんが
入場料(10ドル)をとっていくんだけど、
これってどうみても遺産の保存には使われてなさそう。。。
一週間分の生活費?
でもびっくりするような精巧な柱が残っていたりして
砂嵐がびゅーびゅー吹く中(暑くなかったのはよかったんだけど)
栄光の残骸を歩いてきました。
これは、Naqa遺跡。
エジプトの影響を色濃く受けている。
普通、遺跡って過去の英知の溢れるパワーを感じるんだけれど
なんでかな、
スーダンの遺跡ってエネルギーがまだ眠っている感じ。
もしくは枯れてしまったか、風にとばされたか。
砂に眠る過去。独特な寂寥感につつまれる。
そうだ、スーダンに行こう
BGMは定番山下達郎
サイレントクリスマスでどうですか。
きっと君はこーない~
(本当にこなそう・・・)