2004年12月

2004年12月31日

堪忍袋ミニ十個パック

年末は心穏やかにおごそかにしっとりと過ごしたいものだが
どうしてなかなかに不本意ながら堪忍袋緒切れまくりの一日であった。

堪忍袋ってのは、じわじわーっと大きくなって、
突然ぷつっと切れるイメージがあるが、
私のはもともと人間が小さいのかミニミニの堪忍袋が
連続して破裂する感じ。
復活も早いが、切れるのも早い。
大した事態でもないんだが、全体として、
一時が万事うまく流れない一日。

津波で壊滅状態になっている東部の海岸地域に派遣されることになるも、
バティカロア地域が、木曜日と金曜日の大雨のために
すごい洪水になっている。津波のあとに続けて大雨で大洪水とは
まさに世紀末の地獄絵であるが、そんなんで現場にたどりつけずに
ポロンナルワという被害もなんもない、遺跡がある観光地に
一泊するはめになる。エリザベス女王も泊まったというレストハウスに
一人で泊まるが、ま、被災後とはいえこういうところは
恋人同士、とか家族でわくわくというところなので、
一人身の私、めちゃくちゃ浮いてるし!
湖のほとりのよい雰囲気のところだが
今日じゃなくていいから。

朝早く7時半に車の迎えがくるはずが
8時半になってもこない。
電話してもつながらない9時になってやっと
「大雨で道路が通れずドライバーが今オフィスに到着した」
「かわりにUNHCRの車が行くから」
という連絡が入ったが
オフィスからポロンナルワまで3時間かかるんですけど。
これからどう早くみつもっても12時すぎになる計算。
それではまぁってなことで12時まで
市場にぶらぶらしにいく。
こんな緊急事態に私はなにやってるんだ?という質問はおいといて
ワンピースを買ったりしてみる。
仕事終わって着る用。
250ルピーを200ルピーにしてよ!といったら
いいよいいよと150ルピーにしてくれる。
すさんでいた心が一気に回復。

さて12時に万全を期してまつも12時半。
おいおいどうなっているんだよ、というところで電話。
「UNHCRの車は今日はバティには戻ってこないで
ここで一泊して明日コロンボから合流するオフィサーを拾って
こっちに戻るということがわかったので、WFPカー送るから」
・・・ってか今いうな。
あのさ、何かプランがうまくいかなくなったら早めに連絡するのが
筋でしょうが
と至極もっともな意見をしてみたが
「いや、でもみおバティカロアは大雨で洪水なんだよ」
って直接関係ないけど、それでも深刻らしいのは十分伝わってくる言い訳。
12時にくるはずが12時半に、これから3時間という
長期「まて」「おて」状態。文句をいっても始まらないが
文句をいわなくても怒りが発酵する。
最初っから3時まであれば遺跡いってもいいのにさ、とか
あんまり思ってもないことを考える。

時間が無為に過ぎる、というのは私はとても嫌いなのだ。
エコノミスト読んだり、ボーイさんと話したりしてそれでも3時。
家族連れがつぎつぎ到着するが、ずーっとロビーで
待っている私は若干怪しい。(本人評)
やっぱり3時半もあっさり過ぎる。
ってかこのまま年末すぎんのやだぞ。

被災地でばりばり仕事か!おーと思っていたのが
しっとり小雨のポロンナルワ、瀟洒なレストハウスで一人で年越し。
いらいらしながら。
いや、どう考えてもいけてないシチュエーション。
結局車来たの5時半。
ドライバーが「おお、ハロー。どれくらい待った?」って
軽く聞くから、また軽く堪忍袋プチ。
・・・11時間。(ぼそ)

途中確かに洪水ですごいことになっていた。
車が水の中ススメススメの潜水艦状態。
4WDでないくるまが道路わきに立ち往生して、
人間はひざうえ、腰ぐらいまで水に使って歩く状態。
津波の被害じゃなくて、これ大雨の被害。

ドライバーが
「こんなに立て続けに何か起こるとは
もうバティカロアは終わりなのか・・・」
のつぶやきが妙に現実感のある夕方。

切れた堪忍袋の緒ひっそりと回収。
確かにだらだら待たされたのは腹がたつけれど、
こんな状態でみんなてんてこまいだったのかーと思ったら
自分のことしか考えてなかったなぁ、と反省のこと、しきり。
次の年の課題である。

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2004年12月30日

出陣儀式

出発の朝はいつもより一時間早く起きて準備する。
一週間でも、10日でも一ヶ月でも
基本的には荷物の量は変わらないのだけど、
普段はやらない、朝にシャワーを浴びて、
マニキュアとペティキュアをする出陣儀式がある。
フィールドでは化粧はしない。日焼け止めはぬるけれど
化粧をする必要がない。
それでも、別に誰かにきれいに見せる必要がなくても
やっぱり女性である限りどこにいっても、ふっと女にしかできない
どこかであらっていう「意外性」があるのは正しい遊び心だと思う。

Beyond the borderで、あの映画自体は私はたいした評価はしてないのだが
アンジョリーナー・ジョリーがめちゃめちゃ最前線の難民キャンプに
(純白のツーピースは議論の余地が大いにあるにしても)
いつものように香水をつけていって、医師にばかにされるシーンは
私はふーむと思うのだ。いいじゃない?香りのよい女性イン砂漠。
確かに、TPOというのは正しい。
フィールドにハイヒールで行く人はいないし、
ヒルトンのレセプションに単パンで行く人はいない。
でも、そういう基本のアタイアはしっかり押さえた上で、
プラスアルファのデティールにこっているのって、
私は「しゃれている」と思う。
今冬注目のツイード!ばかりがおしゃれさんってわけじゃないのさ。

ということで、フィールドにでっぱなしの女は
えてして身なりに構わなくなりがちなのだが、
それはそれで魅力という寛容な人もいるだろうが、
どっかで一線を崩さない気合を自分にいれる。
誰のためでもなくて、自分のため。

笑顔をキープすること、人として魅力的であること。
単なる柔チャンの試合前の赤いゴムと同様の願懸けというか
げんかつぎなのだが、
フィールドの前には、ぴしゃっと身を整えて最大モードの自分で行く。

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2004年12月29日

私的業務日誌

今日は8時のミーティングに出席し、あとは、
援助にかかわるWFPのVisibility(なんて訳すんだろう、目立たせること、
やってることをちゃんと伝えるってことなんだけど)グッズの在庫確認をする。
Tシャツ、キャップ、バーナー、旗、ステッカー、など。
デザインもすれば、倉庫番もする。帳簿もつければ、連絡係にもなる。

なんでもやります、では単なる便利係で終わってしまうが、
なんでもできます、という強気なポジションで関わっている。
単なる気持ちの持ちようなんですけど。

午後の内部のミーティングで、明日からの物資分配の現場に
派遣されることが決定。念願の一陣。
仲良しのバティカロアオフィスのV(←イブも一緒に過ごした友達)とともに
被害の大きかったアンパラで援助のコーディネーションという
願ってもないポジションである。
怒りっぽいけど、敏速でパキパキ動く私と
行動はゆっくりだけど、寛容で穏やかな彼の組み合わせは
自分でいうのもなんだけど、こういう場ではかなり動けるはず。

まぁNGO時代と違い、安全管理とかかなり細かいのが
めんどうくさい。援助物資のローリーと一緒に行きたかったのだが
もちろんインターナショナルスタッフは完全装備の国連カーでないといけない。
安全、安全とかなり細かくいわれ、よくよくわかるのだが、
それが足かせになっては一秒を急ぐ現場で本末転倒じゃんとは思うが
それは組織で働くものの常、言いたいことをぐっと呑み込む。
我も通すけど、たまにはひっこめる。
緊急事態だからフレクシブルにそしてタフに動かないといけないけれど
余裕とユーモアは忘れちゃだめね。

年末はこの分だと被災地で行く年来る年である。
もともと別にゆっくりしようとも思ってなかったし、
せっかくなので、勢いよく2004年から2005年に突入である。
今年は最後にこんな展開になりました。
何があるかなんて本当にわかりません。
ただ、そこでできることに全力投球するのみです。
来年もよろしく。

とりあえず一週間の出張です。
帰ってきたらブログ再開します。またいらしてください。

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2004年12月28日

お葬式ラッシュ

2万1715人死亡
74万5718人退避

現時点での被害者の数。
一日一日と数が膨れ上がっていく。

感覚が麻痺し、思考が停滞している中で
カタカタと数字のカウンターが増えていく。
只の被害の規模の大きさじゃない。
胸座をつかまれるのは
この数字の一つ一つに生命があり、人生があり、
ドラマがあったという事実である。

今日だけで2つのお葬式に出席した。
明日また違うお葬式がある。

いつもにこにこしていたカウンターパートの保健省の栄養士さん
友達の奥さん、この世にまだ数年しか滞在しなかった子供たち。
運命とまとめて呼ぶには酷すぎる現状。

小さくても立派な棺桶が並ぶ葬儀場で
会ったこともない子供たちに思いを馳せたら
体中の水が沸騰して目から流れ出てきた。
やさしかった友達の最後の言葉とシーンが広がって
胸がえぐられた。

残されたものにもまた辛い日々がある。
死ぬのも 生きるのも 辛い
生き残ったからラッキー、そんなんじゃないのだ。
私だったかもしれないのだから。

先週元気だったあの人が
目の前で冷たく眠っている。

自然を前にしたら人間なんて木の葉同然だ。
お金も知識も技術も人徳も
無に帰る。
すべて。


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2004年12月27日

緊急の中の日常

どうやら日本も外国でも
かなりセンセーショナルな映像がくりかえし流れているらしく、
おそらくこの場にいなければ
スリランカ及び周辺国での緊迫感は相当なもので小国が荒波に呑み込まれ、
人々が怒涛のなかにすべもなく流されている状態が
今も続いているようにも思えるのだろう。
確かに現場の惨状には胸をつまされる。
人の死体が並べられた学校の映像や被害者の統計を色で示した地図を見ると
今回の事件がいかに予想外に大規模なものだったかよくわかる。

しかし、

天気のよいコロンボでいつものように出勤した私を待っているのは
いつもよりは断然緊迫した空気ではあるが、
それはセピア色でも、おどろおどろしいBGMが流れてくるわけでもないので
心理的に糸をはりつめた緊張状態なんかでは、決してないのだ。
あくまで飽くなき日常の一シーン。
おとといの続き、昨日の続きが今日になる。

もちろん、被害者の数は刻々と増え続けているし、
身近な人の心の痛むニュースもある。
しかし、援助機関の最前線にいるからといって、
一時が万事TBS「緊急発動24時」みたいに
スラーっとしたFBI的エージェントが現場に緊迫した面持ちで急行し
ハナバナしく活躍するシーンなどほとんどない。

UNのドナーミーティングが設けられ、各国からそのために集められた
緊急援助のプロフェッショナルやら、長い間プロジェクトにかかわってきた
ナショナルオフィサーには召集がかかるが、
私ごときぺーぺーが鼻息荒く参加できる機会など、丁寧に用意されない。
「やれることあったらいうからちょっと待ってて」
と飼い主に「マテ」をされる飼い犬のごとく、気持ちだけは「やらねば!」という
勢いがあるが、緊急援助の玄関口では完全に空回りである。

かといって、同時進行で何かプロジェクトを動かすような空気では全くないので
続く日常がありながら、緊迫する現状が目の前にありながら、
今出来るのは、机の整理とずっと前にやっておかなければならなかった
ドキュメントのファイリングとか、支払い確認とか
本当にしょうもない日常生活の残骸の始末だけである。

というわけで朝方に日本大使館に、給食に使われるべき米の
緊急対応への変換をお願いした以外は
全く自然災害とは関係ない仕事しかしなかった。
午後にまわってきたのは、
「Tシャツと援助物資を運ぶトラックにつけるロゴのデザイン」である。
こういうお絵かき仕事は好きなので、前からいろいろ回ってくる。
雑用も立派な仕事のうちではあるが、
一貫性のある、生産的な仕事の指示っていうのはこういう状態ではまわってこない。

やる気はないとダメだけど、やる気だけじゃ役に立たないというのは
現場の非情な現実である。
NGOで緊急援助の現場のコーディネートは何度もやってきているので、
今回もどうにかして、援助の現場のコーディネートにもぐりこめないかどうか
ボスにかけあってみる。
自分にやれる器と実力があるかは、やってみなければわからない。
待っていたら、来ないかもしれない。だとしたら自分から獲得しなくては。
仕事をしてても常に狩猟モードオンである。

のんびり仕事してもしなくても決まったお給料と残業代がいただける仕事、
なんて魅力はないのだ。自分が費やすエネルギーに見合うチャレンジが欲しい。
そして今やらなくてはいけないことがある。
私が、っていうだけではないけれど。
誰かがやらなきゃ、っていうんだったら、私やります。
そのためにここにいるのだもの。

ところで、今回のWFPのTシャツはシンプルながらなかなかスペシャルな出来。
このシャツを着て、皆さんに活躍していただきます。


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2004年12月26日

地球末期症状

災害は忘れた頃にやってくる、っていうのはこのことでしょうか?
忘れるもなにも、もともと記憶や想像力の種ほどにもなかった
大規模な自然災害。スリランカは洪水や旱魃は
日常的にありますけれど、こういう大規模な地震や津波の話は
聞いたことがありません。

26日連休最終日、おじさんの家が腰まで水浸しということで
「雨も降らないのに変だね~」といいつつ帰っていったWが
電話で「津波だったらしいよ」というのは冗談にしか思えませんでした。
「水道が壊れただけでしょー」とかそんなコメントをだしたような。
だって、彼のうち、波打ち際でもなうんでもないんですから。
台風どころか、この3日間、快晴ですよ、スリランカ。
で、さてさて、メールでもチェックしようかと思ったら
大丈夫?
大丈夫?
大丈夫?
の嵐。テレビもなく、ラジオをつけてみても
あいにく中途半端な時間でクラシックとポップスしか流れてこない。
友達に電話しても、ずーっと話中ばかり。

わけのわからぬまま、とりあえずニュースサイトで
インドネシアで地震があり、その影響で沿岸部の国に
被害がでたことを知る。
スリランカ1500人の死者
・・・・・え??

そのうちラジオが流れ出した
無機質に場所と被害者の数を繰り返す
典型的緊急事態のラジオ放送。
「大統領が災害緊急事態宣言を出しました。」
えーえー!!
電話をしても誰も出ない、というか電話がかからない。
外に出てみたけど、人通りは休日だから少ないけれど
うちのまわりでは少なくても全く緊迫感はない。
B29も飛ばないし、サイレンもならないし。
(不謹慎な冗談でした。すみません)

夜情報交換をしたらなんだか
すごいことになっている。
スリランカ版「デイアフタートゥモロ」である。
リアルな映像でふむ、地球を酷使していると
こういうことって将来的にありえるかもな、と思ったことが
記憶に新しいが、
地震とはいえ、こんな小さな島国に4500人(死者の数増加中)
の被害を出し、沿岸部の家屋を根こそぎなぎ倒しているとは
おそるべき、津波。侮れじ、自然の驚異。

友達で南部にリゾートに行った人もいるし、
知り合いで住んでいる人もいる。
電話が使えないので、とりあえず手当たり次第メールとSMSをうっておく。
Kのホテルは水浸し、
Pは家が崩壊、
Aは休日で無事、
とゾクゾク打たれる生存確認にほっと胸をなでおろす。
まさか、あの人がとか
まさか、この時期にとか
まさか、ここで
とかまさかまさかがなんでもありえるのが
自然災害である。

自分がいったことのあるビーチとか
今年の3連休行こうかなと思っていたホテルの近くでも
何人も人が呑みこまれている。まじ、ひとごとではない。
車や家具がぐいぐい流れていったらしい、とか
人の死体がぷかぷか浮いているとか
そういう話もある。

援助機関のはしくれに勤務するものとして
今年は年末がないことを覚悟しなくては。
神戸だったりパプアだったり、
コロンビアだったり緊急援助の現場には
何度も身をおいたはずだけど、
ボランティアではなくて仕事。
今回は何ができるのか、身のひきしまる思いがする。

生かされているうちに、存分に働かしていただきます。

心配してくれた方どうもありがとう。
こういう心遣いがとても心にしみます。
というか、こういう私のことを理解してくれる人の存在あって
頑張れるのだ、とつくづく思ったりする今日この頃。
9・11の後家庭回帰っていわれたけれど
災害という緊急事態を経験して
自分にとって大切なことはなんだろう?って考えさせられること
多いんですよ。

一段落したらまたきちんと報告しますが、
しばらくはプログでその動向をお伝えできればと
思っています。

それでは本日はこのへんで





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2004年12月24日

3連休なのだ

インドネシアに友達の結婚式に!…長期休みとれず
南部ビーチでクリスマスリゾート!!…予約いっぱい

ということで、全く計画性のないのがたたり(長期の人生設計は好きなのに
短期間の計画性に欠けるのはなぜ?)クリスマスの3連休、24、25、26日は
フラワーロード☆リゾート。(←うちです)
23日は半休をとってパーティをして、それなりに楽しいパーティーになったが
当然のことながら24日の半分以上は掃除にあけくれてしまった。
それもクリームべったりの皿とか油でギトギトのおなべとか、
床にくっついているのは、チキンの皮?!という具合。
ホームセンターで買出ししてきて作成したクリスマスツリーの感じがことのほかよいので
イルミネーションつけっぱなしである。
“あなたも!自宅でルミナリエ”キッド。木のもこもこ300円×3、中国製のカラフルライト(時間差でチカチカするすぐれもの)140円×2、あとはちいさな鈴とかホテルでもらったチョコレートについてきたまつぼっくりの飾りものなどをかざったら、
なんともまぁラブリーな出来。(自画自賛)

夜は友達V夫妻と私とWのダブルペアで、ガラダリホテルのクリスマスブッフェに行く。
Wは人見知りするし、友達の奥さんも典型的な口数少なめのスリランカ人だし、
どうなることやらと思ったら取りこし苦労であった。超盛り上がり!というのではないが
まぁもともとイブなんていうものはしっとり過ごすもんだし、こんなもんでしょう。
さてホテルからのサプライズプレゼントでWは金の(←偽者の可能性大)ペンダントを
私は風船をふくらましてしぼませるときと、
ぷい~とか変な音がなる子供だましのおもちゃをもらった。
友達は(←男)小指すら入らない指輪をもらい、
友達の奥さんはガラスの象の置物をもらっていた。
ガラダリのクラブ(コロンボ2000)は、閉鎖されていたので
ヒルトンのクラブにいったら、招待客だけ、というありがちな展開。
ま、クリスマスだからって大騒ぎすることもないのだけれど、
せっかくだからクランシーズ(ここもクラブ)に行く。
若者で足の踏み場もないくらいだが幸運なことに4人席をゲット。
ビールのピッチャーを頼んだのはいいが、
問題は奥さんとWが踊りたがらない。Wは私に踊ってきなよ、というが、
奥さんはVに「行かないで」と言う。
みんなで行こうよー!と誘っても、腰が重い!Vはまんざらでもなさそうだが、
奥さんは私とVが行ってしまって、Wと二人で残るのがちょっと嫌そうだ。
確かに、感じが悪いわけじゃないのだけれど、この流れ、読めるぜ。
ということで、私も一丁前に気をつかって踊らないが、
「クラブなのに、踊らないなんて!」という気分でいっぱいである。
途中どうにかこぎつけてV夫妻と私だけフロアにでるも(Wは断固拒否)、
終わって帰ってきてみると、見たことのないけばい女が必死にWにしゃべりかけている。
まぁ面白くないが、別にここで所有権を主張することでもないので
余裕たっぷりに隣に腰掛けたらあっという間にいなくなった。
Wニコニコして「君がきたらすぐ勝ち目がないって思ったんだね」とか言ってるが、
そういう問題ではない。はー。

イベントの雰囲気は大いに愉しんで3時半に4人でフラワーロード着。
明日もあさっても休みというこのまだまだ感が最高。




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2004年12月23日

イブイブパーティー

今の家に決めたのは、大きな庭があったのと
パーティに適したいいスペース(ダンス可)があるからなのだが、
今まで大体が2~3人という小規模のディナーばかりで
今回のように初めて大きなパーティ開催。22人ご来宅。
半休をとって準備に備えるが、やっぱり半休をとってたIにつきあってもらって
買い出しパートIIに行く。昨日、飾りつけは終わっているが料理のものは
今日買わないといけないのと、あとはビール!ビール!である。
昼間に思い立って、カフェジャパンから寿司のもりあわせ(2000ルピー)を
頼んだのでちょっと気がラクだ。
ホームパーティーは気合をいれすぎると疲れるので、適当に手を抜くのがよい。
イギリスいたときに思ったけど、アメリカ・ヨーロッパのパーティーは料理に関しては
本当に手抜きだ。KFCのチキンセットとかデリバリーのピザに
代表されるパーティわくわくセットを武器に、ワインと酒は十分用意したら、
あとはまぁサラダなんかがあればよし、と。
要するに、グルメを追及するのは、いいレストランで
それこそ少数でじっくりとやればいいことだから、
たくさん呼んでワイワイやるのが目的のパーティでは
エネルギーが別のところに発揮される、という理にかなった論理。

ホテル支配人の奥様のKが、厨房からチキン揚げとスペシャルミートボール
(にんじんが花のかたちをしているところが、プロを感じさせる一品)
それからガトーショコラ、日本人学校の先生のHちゃんからは
メイドさんが作ったという美味な煮物、コロッケ、ポテトサラダ、
Tさんからはまだ温かいパンケーキを頂き、それぞれ大好評。
ワインやらジュースやら果物やら、ゾクゾク差し入れがあったので、
ホストといっても、まぁ半人前だ。それでもチキン1キロ作ってカレーを作り、
おばさんから習った豆のカレー、もやしのナムル、
大根の漬物(浅漬けのもと+ラー油:友達の奥さんに教えてもらったレシピ、
簡単だけどおいしいよ、これ)を準備。お客様来てから作り始めて、
すっかり忘れてゆですぎてアルデンテどころかデレデレデになってしまった
パスタをCさんがうまくごまかしてくれた。ああ、もつべきものは友なり。

自分の家でやるので、知った人がメインになる。
深くじっくりとはいかないけれど満遍なくしゃべって、お酒や料理にも気を配る。
今日は初対面の人が二人ほど。
こうやって知ってる人を介して人間関係が有機的に広がっていくのはとても嬉しい。
やっぱりこういうスペシャルなホリデーシーズンにちゃんとしたパーティもないとね。
しっぽりとしずか~にやるのもそれはそれでオツなものですが、
せっかくいろんな人が回りにいるので、こういう機会を使ってワイワイと
自分のアンテナに面白そうなものをひっかけていくのは、いいことです。
一緒にダイビング行く仲間がみつかったりね、
短いとはいえやっぱりおしゃべりから発見する新しいことってやっぱりあるものだし。

今日の教訓*
1. 紙コップは招いた人数×3用意すべし
2. ペーパーナフキンは必需品
3. ミネラルウォーターは多めに買っておく
4. ごみばこは複数、離して配置しておく
5. デザートが意外に好評(必要ないかと思ったらやっぱりあったほうがいい)

最後のお客様が帰って2時20分。これから大・掃除です。(←まただよ)
超やりがい有。これだけ爆発的に汚いとそれはそれでやる気がみなぎる。
クリスマスイブの真夜中(正確には早朝)にノンストップのダンスミュージックを高らかに
ならしながら、鼻息荒く掃除をする妙齢の女一人。
今年もよい年でした。いや、まじで。


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2004年12月22日

人間テレビ

今日は国連コンパウンドでクリスマス会があった。
普段もさーっとしている同僚の息子がめちゃくちゃかわいかったり、
コワモテのオフィサーに美人の奥さんがいて、
しかも彼がかなりまめまめしかったりするのを見て、
こういう職場に「私生活」を持ち込む空間って大いにあり!と思う。
つまんない宴会騒ぎ必須の無礼講社員旅行なんかより、
職場の同僚の親近感と興味が断然アップする。
これってのちのちの生産性に大きな影響を与えると思いませんか?

国連はそれこそ奥さんが迎えにきてお昼ごはん食べに行ったり、
オフィスで子供が紙でお絵かきしたりすることがままある。
シニアなインターナショナルスタッフは家にランチを食べに帰ることも多く、
私生活と職場の境界線のどころは意外にぼんやりとしている。

日本だと「奥方」とか「奥様」っていうくらいだから
家庭のことは職場にもちこまぬのが漢!という男性至上論理や
バリキャリの女性も家族につながる所帯じみた事項を排除しようとしている。
出世にはそういうものは無用だから。・・・本当にそうか?
えーこの人にこんな面があったんだ!という普段の職場ではなかなか
でてこない新鮮な驚きがこういう場ではぽんぽん出てくる。
職場の頑張りは毎日みているとしても、
その人が残りの時間を一緒に過ごすべく選んだ人を見ると、
普段の一面ではわかりえないいろんな顔が人にはあるなぁと思う。
子供を育てている女性はやっぱり魅力的だし、
自分の奥さんのこと堂々と嬉しそうに紹介する男の人って素敵だし。
人のこと知る、っていうのは、仕事の第一歩ですからね。
知らない人と、すごいことなんてできないよ。

仕事だけ!ではつまらないけれど
家庭だけ!では重い。
もちろん、優先順位はあってしかるべきだけれど
自分の中に大切にする柱が何本もあっていい。
仕事もばりばりやって、家族も大切にして
たくさんのろけて、友達とも楽しもう。

ドキュメンタリーもまんがも映画もクイズもニュースも見られる
テレビみたいなもの。
引出しとチャンネルをいっぱいもった人間はやっぱり
視聴率があがるはず。

こういう場で見る同僚の顔っていうなれば新作映画のダイジェストというか
劇場予告編みたいな感じ。いいとこどりな新しい顔の発見。
明日はうちでパーティなのでアルピコ(まぁドンキみたいな感じの店)
でしこたま買出しをして、家の飾り付けをした。
明日は半休してパーティに備える。
何しろ、まだ19日も消化してないお休みがあるんですから!

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2004年12月21日

愛と欲望と金

今日は久しぶりにダーとまともなレストランで外食をした。
最近は、うちで私の怪しげな手料理を食べるのが通例になっているのだけれど、
外で食べる、といっても定番のKFCかホテルアトランティコ(例の怪しげな食堂)
が主だった。考えてみれば、いわゆる「つきあう」前は随分と
コロンボ中のレストランをまわったものだったが、
これって明らかに「釣れた魚にえさはやらない状態」じゃんと
自虐的に思えてきた今日この頃。
(本人にいってみたけど、このことわざ?よくわかんなかったらしい。
釣れた魚はもう死んじゃうだろ、っていわれたらそりゃそうだけどさ~)
そもそもそんなに女の気をひくのに長けた艶男ではないのと、
あとは、私の知っている限り今期の彼のビジネスの具合がよろしくないのが大きい。
ビジネスマンっていうと財布が札でパンパンっていうイメージがあるが
彼の場合は、まぁもっとぴったりな言葉でいうと「商人」である。
最近は市場の浮き沈みが激しいらしい。
生き方としてエキサイティングなのは好きなんだけどね、
ごはんはちゃんと食べないと。

よく行ってたらしいカジノもほとんどいってないのは
不幸中の幸いというか災い転じて福となす、としても、
ごはんの量も減ってるし、顔色悪いし、
吸ってるたばこも前は輸入物のダンヒルからローカル産に変わった。

いや、私はそんなマテリアルなものに男の価値を見出したりしない人間だと
自負していた。別にたばこの銘柄なんてどうでもいいんですよ。
ブランド物の洋服なんて持ってる必要ないし、
逆に彼のかばんは持たない主義、なんていうすがすがしいシンプルさに
惹かれたくらいではあるが、でもね、なんていうの、
たまには、ぱりっとしたところで外食するくらいの贅沢はしないと、
というかそういう余裕をもった生活をしたい人。
彼はけちではないので、お金があれば豪遊するが、
というか何をするのもやぶさかではないが、
なければないで、一日一食でつつましやかな生活ができる人。

今日そのへんをついてみたところ
「僕は第三世界の男だからね、5つ星の人間じゃないんだよ」と言われ、
絶句してしまった。そうか、まだ第3世界という語彙が生きていたか…
お金がないイコール5つ星じゃない、っていうアイデアはとても
卑屈なものだと思うけれど、でも正直にふりかえって
愛があれば、お金なんかなくても5つ星よ☆と言えるほど
私も甘々な理想主義に生きる人間ではなくなってしまったのだ。
いや、なくなってしまった、と過去形でいうのも変だね、
いまだかつて一度もそうであったことがなかったというある種の真実を認識する。
じゃあ私は5つ星の人間か、っていったらそんなことは全然ないけれど。

じゃあね、自分がお金があるんだからたまの外食ぐらい
自分が払ってぱーっといけばいいじゃない、というアイデアはある。
ただこれが「たまに」で終わらない“かもしれない”状況下で
思考停止して永代会計係に選出されるのは避けたい。
全面的に金銭的に私が優位にたったら、何かまずいことが起きたときに
全然金のあるなしとは関係がない人間の核の部分でも、
絶対に、「何さ~」と思ってしまう醜い部分が
自分にも大いにありえることを自覚している。

男女平等なんてそんなチンケな言葉じゃなくて
やっぱり根本のところで男と女は全然違うんだし、
何より友達なんだから困ったときはお互い様!で
助けあえばいいのだけれど、なんていうの、
基本のラインとして、私は一緒にいる人は、男でも女でも尊敬できる人がいい。
特に私は、男性は一歩上にいてもらって全然よいのだ。
しかし、だからって自分のレベルを下げることはしないから、
あくまで自分は高きを狙い、対象がどんどん減っていくわけだけど。(とほほ)

だから、私が一緒にいる人より「優位」にたってるのは
私の好むところでない。生き方とか考えかたとか土俵が違うから
評価の優劣がつけられないものだからいい、
でもね、金銭的なもの、自由になるお金にものすごい幅があったら
果たして、友情はともかく、一生をともにしていくのって
正直、難しいかもしれない。

お金があるなしは人間の優劣とは関係がない。
でもこういう生活がしたい、これをやろうと思ったときに
それをバックアップするリソースは必要なのだね。
カフェモカからアメリカンコーヒーにするぐらいのシフトダウンはするが、
やっぱりコーヒーが飲みたい時に、水では嫌なのだ。

持つものやバックグラウンドや信じているものが違う人と
何かを作り上げるのは、とても楽しい時間であるけれど、
時に自分の素の醜さを向き合い、妥協したり、考えを改めたりする
“痛い”思いも伴うものなのだ。

愛が勝つ、んだけど、でもお金はだいじだよ~♪なのね。
建前と本音ってそんなにはっきり分かれてるもんじゃないよなぁ。
両方欲しい、ってそれってただの欲張りか。ウーム。

at 23:59|PermalinkComments(0)